New story2

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人が生きるということは、誰かに求められたわけではないんだ・・・・・・
気がついたときから、とか、そう思ったわけでもない・・・・・
その前から、生まれるずっとずっと前から、僕たちは生きていたんだ・・・生まれ変わりとか、前世とかそういうことではなくて、命そのもの・・・・・・ずっとずっと太古からそれは連綿と受け継がれてきた・・・・・誰一人例外なく。
あきこねえさんが亡くなって、ふみこねえさんと僕は、途方にくれていた・・・お姉さんであったわけだがお互いの親戚に対しての立場が微妙な関係にあったわけで、残された家庭に何かができるという立場がなくなっていたといえる。
だが残された子供たちは、それぞれのお嫁入りのときふみ子ねえさんに母親代わりに指名してきてくれて、僕たちはあきこねえさんの人生が素敵だったと思えた。
悲しいことが多かったかもしれないけど、僕たちにとって確かにお姉さんだったし、素敵な女性だった。
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この前のZEPP OSAKAでの自走ツアー「一生☆青春」コンサートはフアンの間でさまざまな意見が交わされている模様・・・・
僕は歌手活動はソロでやる場合とグループでやる場合でその人生観は大きく変わると思っている。
このブログで一貫して書いていることのテーマは「人は人と過ごす・・それ以外に選択肢はない」ってこと。
人と人の間にはいろいろな葛藤が生まれる・・そしていつかそれに耐えられなくなるときが来る。
一度ぶっ潰すしかないと思ってしまうときがあるんだよね。
そのなかから本当に信頼できる仲間が見えてきてまた新しいたびが始まるんだ。
岡平君・・思ったとおりにやったらええねんで・・・つぶれるな乗り越えろ・・きっと未来の君が笑って迎えてくれるから・・・・。
僕が音楽にどっぷりつかっていたころ、はフォークの神様がたくさん現われた。
そんな人に影響されて音楽につかった青春だった。
大阪の心斎橋でフォークギター教室を作って青少年会館で「日本フォーク連盟」なんか発足させたりしたっけ。
僕にとってもっとも影響を受けた人の軌跡を見てみよう。
ボブデイラン・・かれはアメリカンフォークそしてロックと世界のミュージシャンに影響を与えたひとで今の著名なミュージシャンは大きな影響を受けた・・・
かれはやはりどんどん自分を変えていってフアンからはコンサートをぶっ潰されたりしたんだけどそれに負けることなく29歳のころ「新しい夜明け」で大きく変化していった。
日本では高石友也・・・僕が孤独の真っ只中にいたときギターに出会って人生を変えてくれた人だ。
かれも28のころ「冬眠コンサート」で山陰にこもり、29のころカンツリーウエスタンで蘇る。
そのナターシャーセブンのデビューコンサートを偶然東京で放浪してたとき見つけ、紀伊国屋劇場を出て銀座の雑踏の中で僕は一人泣いていたっけ。
岡林は教会牧師の息子だったがフォークの神様と呼ばれることを嫌い、やはり畑を耕すことになる。
29のとき突然「うつし絵」で「演歌」に転向・・・
五つの赤い風船の西岡たかしは僕たち仲間は思い入れの強いひとで僕たち団塊の世代に大きな影響を与えた。
「遠い世界に」は教科書にまで載ったんだけど・・・「僕は荒野に一人いる」・・「ゲームは終わり」を出して解散。
29のときソロアルバム「満員の木」を出す・・・・歌詞は・・始めは始めは木だったので・・・そのうちに木に鳥で木に鳥だったりで・・・そのうちにそのうちに満員の木だったりで・・木ですら涙を流すのであります・・・・って感じだったんだけど・・・その気持ちをよくあらわしているんだよね。
今若者は混迷の時代にいるのかもしれないけど、本当は昔からみんながたどってきた道なんだ・・・それはフアンの人たちにも同じことが言える、いろいろな人と過ごすことで鍛えられる・・・乗り越えろ・・・逃げるな・・・・未来の自分だけはきっとわかってくれるから。
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新しい店の開店を27日に遅らせることにした。
まあそこでこの前のZEPP OSAKAでの元19、3B.Lの岡平健治さんのライブについて書いてみたい。
彼のライブは僕は初めてだ、次男が19からづっとフアンだったこともあり歌は機会があれば聞くという程度。
まあ、ゆず、19などは僕たちがやっていた時代のフォークと似ていてアコースティックなサウンドと、ややもすれば優しすぎるメッセージに安心感を抱いていた。
19を解散し、3B.LABOを休止状態で今度ソロ活動を始めたってわけだけどうわさを聞けば今回は47都道府県を全部回る、本人のギャラはなし、愛車にのって全てを自分の運転で回りきる・・・・・うーーん。
「一生☆青春」パンクフォーク・・・・すごいよなあ。
なんか僕は圧倒されて戸惑うばかりだ。
会場で僕は65歳最年長だったろうな。
29歳で「一生青春」ってキャッチフレーズが僕にはよくわからなかった。
はじまってすぐ彼は涙顔になった。
とまどった・・・・・何があったんだって感じ・・・・・・
最後のほうでかれは告白をする。
19解散の真の原因・・・・3Bでのメンバーの不協和音・・・具体的に書くのはやめておくけど苦しい立場であったんだなあ。
まあそこで一人で今度の活動で自分を確かめたい突き抜けたい・・・ってことなんだろうか・・・・
がんばってる姿をメンバーがみて何かを感じてほしい・・・・そんな気持ちもあるのかもしれない。
そこで思い起こすことがある、昨年HIDEが29歳で旅に出た・・・・僕も29歳を前に新しい世界に飛び込んだ。
そんなときはなかなか他人に理解できるようなことなんかではないので空回りすることが多い。
かれは大阪にことのほか思い入れが大きくてオープニングからスタンディングオベーションで盛り上がるシーンを想定していたようだ。。。でも大阪のフアンは優しくて意外と繊細なんだ・・・・きっと戸惑っていたんだ。
僕も大声を出そうと思ったけど空気になじめず静かにしてた。
アンコールからの10曲近くやったり彼は何とか盛り上げようとしたけど涙の彼にフアンは戸惑ったままだった。
終わり際、彼は「最悪だ、今までのライブのワースト3に入る」と言い残して福岡にたっていった。
その道中でいろいろ考えそのときの気持ちをBLOGに書いている。
http://okahirakenji.com/diary.php?
id=1213367429
岡平君旅を続けてください・・・・65歳になって僕は今もせいいっぱい「青春」を生きている。
♪青春時代のまんなかは胸に棘さすことばかり・・・って確かだよね・・・・
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「上質コーヒ」
水でゆっくりと抽出しました。
ふところの深さを感じさせるドリップの重厚さと
気品を漂わせるサイフォンの眩しい香り。
これらの正統な味わいを引き継ぎながら
水出しコーヒ独自の「きらめき」をプラス。
そのうちに秘めた上質のコーヒです。
上質コーヒは進化しています。
一段一段。 日一日と。
これがFORTEのコーヒ。
FORTEは「きらめき」の先にあるものを求めて、
妥協を許さない、おいしさを求める旅を始めています。
誇り高い旅立ち。
アイデンティティ。
これがFORTEの旅立ちです。
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あきこねえさんの二人の子供たちは明るく聡明で、素敵な子供たちに育っていった。
それはふみこねえさんの二人の子供たちも同じく素敵な子供たちであった。
僕が長く結婚もしないで好きなことをやっていたけど決して家庭を持つことには憧れを失わないでいたことと無縁ではない。
あんな素敵な子供たちを持てるのなら結婚も素敵だろうなあって思っていたのだ。
そしてその夫婦の家庭もきっと素敵なものに違いない・・・・そう思って。
だんなさんは働き者で大工の棟梁として名をあげついに豪邸を建てる。
誰の目にも人生の勝利者と見えていた。
そして、水商売の女性との浮気・・・・世間にはよくあることだ。
ねえさんははじめそれを一人で抱えていた・・・、だんなさんはおぼれていった。
ねえさんは疲れていった・・・・・人生をひたむきに生きようとする心は得てしてそのような罠にはまる。
そんな時、惣七がなくなり1年後サヨが亡くなる。
あきこねえさんは、心のよりどころをなくし、病んだ。
ふみこねえさんはそのことでいろいろ心を砕いたのだが不幸はそんな弱い心を狙い撃ちしてくるものなんだ。
精神を安定させるための薬はさまざまな副作用をもたらす。その整腸剤に時の特効薬キ○ホルムが使われる。
やがて手足がしびれ歩くのが少し不自由になってくる。時がくだって判明するところのス○ン病として一次薬害の被害者となっていく。
それは当初まったく薬害とはとらえられていなかった。
著名学者のウイルス説が受け入れられて、キ○ホルムはづっと使われていった。
やがてそれは薬害訴訟として掘り起こされあきこねえさんはその患者リーダーとして運動の先頭を切ることになる。
当時はそのような運動は反社会的と捉えられたりする時代であったから、家族からも孤立することも多かったようだ。
その年の冬は寒かった・・やがて野に春の草花が芽を吹き始めたころ、僕はふみ子ねえさんから電話を受ける・・・
「あきお・・あきお・あきこねえさんが・・・あきこねえさんが・・・・・・」
わけもわからず僕はかけつけ通夜の席にいた・・・やがて新聞やテレビ局の取材陣が押し寄せる。
マスコミの取材の応対係をする僕はやがて事態を呑み込む・・・・ああねえさん・・・・なんてことだ・・・・・・
ごめんよ・・・助けられなかったんだよね・・・・
次の日の朝刊に一面トップ6段抜きで報道される事態となり、やさしいあきこねえさんに闘うのは無理だったんだと僕は初めて理解した。
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消費税の増税に試案が出てきた。
僕は現在の税制や年金、社会保険、等を簡素化することが必要だと思っている。
小さな会社を経営しているとそのような事務処理に過大な時間がとられていて本来の営業費用との釣り合いが取れないのだ。
たとえば、売上100%としてその事務的な費用は完璧にこなそうとすると5%から15%が必要となる。
つまり商品価格に事務費用が入って売られているということになる。
まあ社会的にはその費用で新たな雇用が生まれているということなのだが、厳しい経営を迫られている時代になるとそれは大きな要素となる。
今は電子帳簿の時代、銀行間の資金移動もインターネットで自動でできる時代となってきた。
総合的にそのような流れにシステムを統合すれば事務費用は1%でもすむのではないか。
とすれば商品価格に5から10%は税に回す余地ができる。
まあそのようなことも含めて消費税は20%でもいいと思う。
監視しやすく、わかりやすいし、何より公平だ。
そして売上税の時に出たことだが、たとえば食品とかの日用必需品、医療、介護、福祉、教育
については低い税率とする・・・
文化については高税率とする・・・たとえば歌舞伎、狂言、能、音楽、演芸、演劇、映画、広告、放送。
大阪市長が府知事に文化は守らねばいけないって力説してたけど、守らねばいけないものは淘汰されてもいい。
僕たちに必要な文化は金かけないでも残っていく。
どうしても守りたい人はそれなりに金を集め、金を出し使ったらいい。
今のフォークソング、ロックミュージックの原点はアメリカ開拓時代のヒルビリー、マウンティンソングからカンツリーウエスタン、ロカビリーに受けつがれていった。それがはぐくまれたのは、その時代の酒場「ホンキトンク」だ。
町の人や流れ者たちがそれぞれ楽器を持ち寄って歌い、踊り、しゃべり、コミュニティーを作っていった・・・時には撃ち合いもあったけど。
そうかあ、よし夢のライブ喫茶は「ホンキトンク」で行くぞ!
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この前・・何気なくつけたテレビで絢香の歌声が聞こえた・・・・・
心の奥が瞬時にジンジンした・・・・こんな感覚は忘れていたよなあ・・・・・・・・
すぐに絢香を調べた・・・・うん・・・・納得・・・・・そうかもしれないよなあ・・・・・・
今僕に必要なのは、だめなことを指摘されることなんかではないんだ・・・・・・・・・
そんなことは僕が一番知っている・・・・・・・・・・・・
もっと先を見つめて、僕はチャレンジする・・・・誰にもできないから僕がやるのだ・・・・・・・・・
そうやって今までやってきた・・・・これからも・・・・・・僕の方法で・・・・・
僕に今必要なのは・・・・
「おかえり・・・・・」
ははははがんばるぞ!っと。
P.S.
絢香と綾香を取り違えていた・・・ので本文は修正した。08/07/02
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