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2007年11月の7件の記事

2007.11.22

ひな菊は野に咲け 5


惣七が戦争から戻ってきたとき、森田の娘は亡くなっていた。
その後彼は黙々と木を切り、きんまに乗って木を運んだ・・・。

その働きは誰の目にもすばらしく、誰もが家を継ぐものと思っていた。長男は出奔し、三男正秀はまだ小学生。
しかし継母はすべての実権を握ってますます過酷な仕打ちを前妻の子供たちにする。
家がほしいから働くんだろうと言いふらせらることに絶えられなくなり惣七は故郷を捨てる。

着の身着のまま家を後にし切り立った山の斜面の一人がやっと通れる細い道を下っていくとき学校から帰ってくる小学生の妹マツノと正秀に出会う。

「あんにゃんどこいくの?」

「あー川口までいってくんかんな・・・おふくろ大切にしろよ!」

人をうらまずただひたむきに生きた男であった・・・・・・

その後残されたマツノと正秀は、家を出て遠い親類宅をたずねる、しかしみんなが貧乏な時代、馬屋で生活するが食事も与えられず、米ぬかをすすって生き延びる、
正秀は「ねえやんおいしいで」といって食べた・・・・ずいぶん時代がたった後マツノがこの話を昭夫にしたとき号泣した。

正秀はその後蛍雪の苦学をし部屋は専門書で埋まっていく、誰もが彼が未来を築いてくれると信じていた。
そして太平洋戦争で召集され輸送船に乗ってフィリッピン沖で魚雷に撃沈され海の屍となった。

戦後、生き残った戦友が、山奥に尋ねてきて、その最後を聞いて、マツノだけが泣いた。

マツノが嫁いで、継母一人残った家は遠い親戚の娘を養女にとり、養子を迎えて、男系の血筋をなくす。

故郷を捨てた惣七はその後、船乗りとなり世界を回り船を下りて日雇いの仕事を渡り歩き、酒とばくちに明け暮れる。

ある日、魚の行商のおばあさんが宿舎に来て親しくなる。

「あんちゃん、所帯持ったほうがええ、働き者のいい子がおるよ」

時代は昭和に入り、中国を舞台に列強のしのぎあいが始まっていた。

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2007.11.20

ひな菊は野に咲け 4

徳島の山奥・・深い深い急峻な山の頂近くの家に惣七は文平の次男として生まれた。
平家の落人がその源流浅岡家の分家され文平は一帯の山を治めていた。

文平の一人目の妻は一男をもうけたが本家筋の跡取りとして養子にやられたあとその妻は病死する。
あわてて後妻を娶り、長男、次男惣七、長女マツノ、3男正秀をもうける。
跡取りは磐石と思われていた。

しかしその妻も正秀を産んだあと、病死する。
亦も文平は後妻をとる。そのあと文平は没し、子のない後妻がその財産を受け継ぐ。

そして前妻の子供たちにいわれのない仕打ちを始める。
長男は北海道に出奔し一家を構え成功を収めるが子供ができずその血筋は途絶える。

残る次男惣七はひたすら働き一家を支える。
村で一番のきこりとして聞こえやがて山二つ越えた村の庄屋の森田の娘と恋に落ちる。

村で評判となるのだが、時代は第一次大戦が終わり中国の租界政策が世界の紛争をきたし日本軍のシベリア出兵となり惣七は縫製兵として召集された。

報われることのない進軍を経験しやがて任務を終える、村へ帰ってきた惣七に知らされたのは森田の娘が亡くなったという知らせだった。

その後ずいぶん時代が変わり彼が家族を持ち、何度か山奥の村へ自分の息子昭夫を連れて帰ったりしたとき誰にも知らせず一人山を二つ越え森田家の墓へ行っていたことを息子が知ったのは惣七がなくなった後のことで、

惣七がなくなっても泣くことがなかった昭夫は、そのことを知って、野辺に咲く花がいかに大切かを知り、親父がいとおしくて、初めてさめざめと泣いた。

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2007.11.17

ひな菊は野に咲け 3

明治の末期、鹿児島の西南端の入り江の村に「サヨ」は育った。
鑑真がたどり着いた古い港のむらでそのゆかりの像がサヨが通った丘の上の小学校にある。
学校から帰ると、急な石段の道を30分かけて浜から湧き水を運ぶのが役目だった。

石屋だった父、その3女1男の長女として生まれたサヨは幼い時から一家を支え働いた。
小学校を出てすぐサヨは大阪の地方巡業の杉村劇団の家にお手伝い、後チエ子リリ子劇団と名を変えることになる二人の幼子の乳母として住み込むこととなった。

当時は貧困のため女は「口減らし」として都会に出されることが普通のことだった。
やがてサヨはは大人となり、国に帰り親が決めた指宿の農家へ嫁に行く。

当時は働き手、跡取りを作る・・そんな時代だった。
やがて2女を産むが男子ができなくて、だめな女としての烙印を押され、子供を残して実家へ帰される。

傷心のサヨは実家で黙々と働く、その長女の幼いあきこは母親が恋しく家出をしては村を訪ねてくる。

なんども迎えに来るごとあきこはサヨにすがって泣いた。

連れ戻されるあきこを岬の峠まで送りもと来た道を戻る途中、坊の岬の断崖の上でサヨは涙かれるまで泣いた。

サヨが子供を呼び戻していると言いふらされるとともにサヨは故郷を捨てる。
サヨはその後生涯故郷の地を踏むことはなかった。

一人また大阪に着の身着のままのまず食わずで3日かけてたどり着く。

杉村家にいたときにわが子のようにやさしくしてくれた出入りの魚の行商のおばあさんをたずねる。

おばあさんはその家の2階に住まわせてくれて、近所の着物の縫い物の仕事を取ってきてくれてひっそりと生きていく。

時代は第一次世界大戦が終わった昭和のはじめ、そのころ惣七は徳島の山奥で木を切っていた。


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2007.11.11

ひな菊は野に咲け 2

僕の家族に突然出来たあきこ姉さん・・ただ姉さんだよって聞かされしばらくわけわからなかった。

あきこねえさんは控えめで、やさしく、懸命に家事をこなし、赤ちゃんを育てた。
そのうちそのだんなさんという方が家族に増えた・・・僕にとっては義兄となる。

兄さんはお袋の田舎の鹿児島にいて大工をやっていた。
あきこねえさんと出会い、結婚子供が出来たところで一旗あげようと3人で着の身着のまま出てきた。

とりあえず生活のめどが立つまでここに住むことになった。
兄さんは朝になったら出かけて仕事を探しに行く。

帰ってこないことも多かった。関西中を仕事を探し、工事現場に飛び込んでは監督に掛け合いその日の仕事をもらい、うまくいけばその宿舎に泊まりこんでいた。

中学生だった僕はそんなことも知らずにただ突然あらわれた家族に戸惑っていた。

とうとうあるときお袋にたずねた。

なあ、僕あきこ姉ちゃんの思い出なんもないねんけどなんで?」

お袋はその生い立ちを話し出した。
それは悲しい物語だった。

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2007.11.05

政局のすすめ 3

いやああ・・・そうくるかあ!
小沢さん!・・・・・・なるほどねえ・・・・・

事実はどうなのか・・・って百花繚乱・・面白いなあ・・・・・・

TOPをやってる人には小沢さんの行動がなんとなくわかるのだろうなあ。

1:すねた。
2:表舞台に出るチャンスと思ったけど誰もついてこなかった誤算。
3:もう一度ぶっ潰して作り直す。


1:は小沢さんがやってきたことの根底にあるわがまま・・・

2:チャンスがなんどもあったけどそのつど次点に甘んじてきた・・・年と体力が衰えてくるとあせる。
 最後のチャンスを起死回生の大連立に求める。
 まあ、参院選の大勝は自民がこけただけなので民主に実力ありと決まったわけではないことは
 わかっている。空論だけを長く説いていても虚しいだけだ・・・そんな感覚が生まれたのかもなあ。
 敵が頭を下げてきたわけだから・・・うーーん。

3:船頭多くして・・って感じが民主党なんで、僕からしたらなにやってんだかなあ・・もっと国民のために動いて欲しいなあって感じてるんだけど・・・そんなことは小沢さんも何とかしなくてはいけないなあってあせっているんだろうねえ。

その辺がTOP経験がなければ理解できないところ・・・自分の利害だけで動けないせつなさ・・かなあ。

そんなときTOPはむちゃくちゃなことをやったりいったりするんです・・・この感覚は赤穂浪士の大石くらのすけ・・・・・自分にすべてを預けてくれているのなら無茶を言ってもその真意を理解しているか、小沢さんのすることだからもっと深い理由があるはずだ黙ってついていくしかないと思ってくれる人を見極めたい・・・。

安倍退陣、福田登板で自民の話題に取られていたマスコミは民主一本・・・・思惑どうりかあ(笑)

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2007.11.04

時空魔神エスカル号の冒険 ■ひな菊は野に咲け

昭和30年代は戦後の荒廃からやっと立ち直り新しい時代の息吹が吹き出していた。
僕が住む大阪の港湾地帯も人口が増え、活況を見せていた。

僕は中学生となっていた。
ある日学校から帰ると、見知らぬ女性が乳飲み子を抱いて茶の間でお袋と話していた。

「ただいまあ・・・」

「おかえりいい・・あーーあきお あきこ姉ちゃんやで」

「・・・えっ?!・・・・ ?・・・どうもぉ・・・・」

奥の間にかばんを投げ出し、茶の間に戻ってやっと我が家に来たテレビのチャンネルをまわし鉄腕アトムを見る。

・・・ねえちゃん?・・・・なんでやろ?・・・いままでそんな話聞いたことないで・・・・姉ちゃんは”ふいこ”だけやん・・・・・・・・どないなってんねやろ・・・・・・・・・

ちらちらとそのあきことかいう女の人を見る。
30ぐらいだろうか化粧などしてなくて優しそうで聡明そうな美しい女性だった・・・・

乳飲み子のかわいい女の子を抱いていた・・・なんかわけわからん・・・・・・

僕の家族が突然二人増えた・・・大人の事情などまったく理解することも出来ない子供の僕にとってはなんとなくそうなんだってわけもわからず受け入れていった。

僕にとっては姉が出来たというよりも、かわいい妹が出来たということのほうがうれしかった。


つづく


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2007.11.01

電脳論11 心、野に咲け

人はおのれの心に翻弄されて生きている・・・・・
そのことで自分を責め、苦しみ、ついには他人まで苦しめることになっている。

心は僕たち一人一人に存在しそして僕たち一人一人にそれはゆだねられている。
僕が何度も書いてきたように心は自分で経験したことを学習して作られてきたものだ。
生物の中で心を持つものと持たないものがあるのだろうか。

僕はすべての生物に心は存在すると思っている・・・ただし今の人間のような複雑な心と言うわけではない。
それぞれの生物の観察、記憶、検索、比較と実行の能力はそれぞれの生物によって差があるわけで・・・

たとえば犬を考えてみる。

愛犬家なら即座に答えるだろう・・あると・・
犬は自分という意識を認識している・・・僕はそう思っている。
生物の中で猿の仲間が人間に近いといわれているが近年の研究で今や言葉に近い表現をする固体が現れている。

自分の存在を意識するところの僕たちの心のあり方は特殊なのではない。ではなぜ自分という意識があるのか。

それは目鼻耳とうの機能と神経に他ならない、、過酷であるが思い浮かべてみよう、
見えない、聞こえない、しゃべれない、痛みなども感じなくなったとしたら僕たちは自分という認識をどのぐらい持ちこたえることが出来るか・・

それまでの経験が多ければ長くなるだろうがたとえば生まれてすぐそのような状態になったとしたら・・・・・・
外界を認識することが出来なければ自分を認識する心は生まれないのではないか・・・そのような禁断の論理に到達できる。

僕が電脳論で分析することの中枢はそのことだ。

人は経験することをすべて受容しそのように作られる・・それ以上でもそれ以下でもない。
時々言うこの僕の考えはそのことを言っているわけです。

そのように考えることによって社会の不都合な現実の原点が見えてくる。
今社会は混迷しているわけなんです・・・温暖化についても真に地球の未来を考えること以外にどうすればそのことで儲けることが出来るかが本当は世界の関心ごとなんですよね。

食品の偽装、捏造などは、薬害による苦しみを知らない人にとっては薬は人を救ってくれるもの、莫大な利益を生む宝物にしか見えてこないことと根源的にはつながっている。なにが正しいことなのかは心の仕組みがわかっていなければそれは幻影を生み捏造のわなにはまるのだよね。

心の仕組みは単純なんだ。
僕たちは難しくしすぎてきた。

人は生まれてひたむきに生きて、人と過ごす・・それだけで幸せなんだ・・・・・
それは野辺に咲くひな菊のように人をののしらず、ひっそり優しく香り、ささやかな幸せを残してくれるのだ。


僕には姉がいて数年前なくなった。。。しかし実は別に父親違いの姉がいた・・・僕が中学生のとき乳飲み子を抱えて僕のうちにやってきた・・・・・ひゅんひゅんひゅんひゅん

母親が僕に平然と言った・・・・

「あきこ姉さんだよ!」

「えっ!・・おねえさん?・・・・どうも・・・・・・」

突然姉が一人増えてしまって戸惑っていた・・・・・・・・・・

時空魔神エスカル号の冒険 ■ひな菊は野に咲け につづく・・・・・

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