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2008年4月の11件の記事

2008.04.28

渚ミュージックフェスティバル4/29舞州

http://mv-ipop.eplus2.jp/article/92562286.html

渚ミュージックフェスティバル4/29舞州があるねんなあ。

DJのお祭り・・・・FM802も後援してて、面白そう・・・でも20才以上やねんなあ、珍しいお祭りや。

息子たちに一緒に行こうってメールした。。。。その返事・・・・

次男18才へ:

僕65:明日 渚コンサートいけへんかなあ?


18:だれのライブなん?
18:クラブ系?

65:DJのお祭り802後援

65:http://mv-ipod.eplus2.jp

65:あっ20才以上やった!ごめんお酒出るからやな

65:映像見た?おもろそう!20才の証明なんかないか?

18:まだ家ちゃう・・・18才の証明ならあるけどな!笑

長男20へ

65:明日 渚コンサートいけへんかなあ?

65:DJのお祭り802後援
65:http://mv-ipod.eplus2.jp

20:え、なんでまた。しかもDJって何かわかってるやんなあ?バンプとかとちゃうで?

65:せやで 踊るんです!ちょっとした楽器もあったり何箇所もステージがある!20才以上なんでAKIだめ
65:あのサイトに去年の映像ある!いろんなステージがあるんでおもろそう!

20:踊るん?!えーなんかあf^_^;どうしょうかなあ、なやむわ!笑

20:あした生徒の特別教習が入ったあ

65:さいならあ

20:まーまた時間あったら普通にライブいこや。ロックフェスみたいなやつ。

65:僕ベースな

20:え?ライブいくんじゃなくてやるんや笑
  そんなんいつでもできるわー!

65:ほな明日は彼女と行くわ!バイナリー

20:はいはいー、じゃあね!

・・・・・・・仕事しょうかなあ・・・・・

P.S.
まあしかし二人とも文章の最後に「笑」をつける・・・・僕と一緒・・・・はははは

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2008.04.26

飲み会

飲み会
飲み会です・・・大阪日本橋のとある個人ビルの屋上で・・コンパ

電気屋街のネオンが「電車男」のシーンのようです。。
この写真をアップしたあと僕は酎はいが回ってダウンしてました。
今日はカレーライス3分の1だけしか食べてなくて、いい友達とうまい酒・・・倒れるパターンだった。

次男が昼間店にバイトに来てくれて久しぶりにいろいろ男どうしの話などできたし楽しい一日だったワイ。

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2008.04.21

電脳論 11 泣きの論理

今日は大切な打ち合わせが明日に延期になってぽっかり時間があいた・・・・
そこで大阪府知事の「泣き」について思うことを書いてみる。

今回の市町村首長との会合で、知事は泣いてしまった。
僕にはわかるような気がする・・・僕だったらやっぱりあの瞬間に泣いただろう(笑)

僕は日ごろからよく泣く・・でもそれは自分をさらけ出してもいい場面だけだ。
たとえば素敵なBLOGの友達の思いにはせたとき、素敵な音楽を聴いたとき・・・・

大切なさらけ出してはいけない場面ではどんなに苦しくとも、悔しくとも、うれしくても泣かない自信がある。
でもそれはそのようなシーンを繰り返し繰り返し経験してきて獲得した技術なのだ。

獲得した技術を上回るシーンが発生したらやはり泣くだろう。
そのことも自信がある・・・だって若いころは大事な場面で3度ほど敵の前で泣いたから(自爆)

なぜ人は泣くのかを考えてみる。

まず子供が泣く場合。

本能的に自分の欲求を訴えるときなんですよね・・・・・
殴られたり、いじめられたり、寂しかったり、不安だったり、お腹がすいたり、痛かったり。
うれしくて泣くということは社会的な経験をつんで獲得していく「心」つまりプログラムされたものだ。
つまり本能的に泣くことを心が制御しているわけでそれが技術といえる。

つまり、泣くという現象は、本能的な「OS:オペレーティングシステム」的な部分と、形成された「プログラム:アプリケーションソフト」的なことが考えられる。

無意識にここで泣こう、とか泣かないでおこうとか経験したその人のプログラムの中で実行される。
単純に、そのように作用したわけですよね。

その意識の中には、泣くことで訴えることができる効果を期待していることは否定できない。
そんなことはないといってもだめ、そうなんだから(笑)

あのシーンの場合、子供たちに約束したから不眠不休で改革に打ち込んでいる自分に対して、それぞれの都合を全面的に訴えてくる人たちがいる・・わかってほしいと思う心、たたき台の1100億円削減試案を見事に作ってくれたプロジェクトチーム・・・に報いたい・・・・なのに若造呼ばわりする市長・・・・まあそんなシーンだったよね。

真剣に取り組みするとそんなことになってしまうんだよね・・・・・だから技術的に僕は適当でいいやって思えるようになってきたんだ。

一点突破・・・それ以外は大体でええ・・・なんてずるさとも言える(笑)
そのほうが体力も気力も持つし結果はいいことが多い。

まあそういうことで、あまり「泣くのは卑怯」だとか「トップは泣くな」とか「若さ」だとか全て正解だけど
馬鹿にするのは正しくない。

そのことに固執することは無意味なこと。

そんなことは心がある限り全ての人が持っている現象なんだから、笑って許して(笑)

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2008.04.19

舵を取れ!

数えたら きりがない ほどの危険や不安でさえも
愛して迎え 撃った 呆れたビリーヴァー
目を開いた その先に 見える確か な 眩しさが
空になったハートに 理由を 注ぐ

そしてまた 僕は僕の背中 押 して いく
たった一つ掴むために 幾つで も失うんだ



 


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2008.04.18

橋下大阪知事泣く

大阪府知事が泣いた・・・・・・・・
各市長の強硬な抵抗に必死に応戦していたんだよね。

「あんた、血も涙もないようなことやめなさい!」なんて傲慢な発言をする市長もいた。

大阪市長は削減についての具体的なものが何もないなんて言い出す・・・・
そんなものあるわけがない・・・・・とりあえずゼロベースからはじめるってなんども言ってるではないか。

何を削るかなんてやってたら今までと一緒なんだよね。
ひとまず全てぶっ潰す、問題は一杯出るだろうそのなかから絶対必要なものを作り出す・・・・・
そんな感じで取り組まねば「改革」なんてできるわけがない。

大阪府立体育館を無くす案などは抵抗が多いだろう、子供たちとスケートに行った思い出がある。
僕が卓球部だったころ試合をやったよね。でも阿倍野体育館でもやった。そこはとっくに閉鎖した。
何の問題もなかった。

もっと言えば卓球の試合なんてもっと田舎の公民館でもできるわけだ。
青少年会館は僕たちバンドなかまは2,30回はライブをやった。
なくなれば寂しいでもその気になったら路上ライブだって素敵な青春だ。

難波の吉本花月の向かいにある上方ワッハ・・・お笑いの大御所が盛んに知事に申し入れをしている。
難波にあるから意義がある、若い芸人を育てないと大阪の文化がなくなる・・・・・・

僕はそんな文化ならいらないと思う・・・結局は自分たちの権益を守ろうとするずるさを表明しているだけだ。
見苦しい、見苦しい。

若い芸人の修行の場が必要なら地方に行けば廃校が一杯ある、申し込めばただで貸してくれるって。
そんなにたくさん芸人いらんで。

そら面白いけど10人ぐらいでええで。そのぐらいで僕は辛抱できる・・・はははは。
さんまと、爆笑問題と、サンドウイッチマンと羞恥心ぐらいで十分や。
あとはあえて言えば「じゃま?」・・・・はははは。


吉本さん見苦しいで。
率先して改革の先頭に立ってもええノンとちゃうか?
上方ワッハ買い取って上方文化に貢献したらええのんとちゃうん?
今やったら安く買えるで、ついでにくいだおれも買ってあそこで道頓堀吉本作ったら?
たのむわ、このままではあかんやろ?日本中が変やろ。お笑いがこんなに隆盛を極めてるのに若者が壊れてるってなんかあまり大層にお笑いは上方文化やなんて思わんほうがええただの流行や・・・はははは。

橋下知事がんばりや、僕もその泣くのよくわかるで、トップの苦しさなんてだれにもわからん。僕もあの泣くシーン見て泣いた。
一緒に死んでくれるやつなんて期待せんほうがええ、そこそこがんばってくれる人は必ず現われるから、がんばろ!

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2008.04.17

業務連絡 外伝

ふううう、体調が悪い・・・・これはストレスだなあ・・・・・・
ストレスに対する強さは誰にも負けない自信があるんだけどやはりそれを上回る事件が何回も続くとやはり人間て弱いものだと改めて感じる。

今日はとうとう病院に行ってきた。
まあ心電図も異常ないし、・・・まあわかっていたことだけどね(笑)

電話相手とは今日は3人と激しい口調で言い合ってしまったなあ・・・まあ大きな案件は無事クリアーしたし、もうしばらく待たれよ!必ず復活する・・・・だれかあ飲もうよーー(笑)

Hagumi

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2008.04.16

くいだおれ閉店

道頓堀のくいだおれが閉店するという・・・・
大阪の人間にとっては衝撃のニュースだ。

60年前・・・僕はあのくいだおれの前で迷子になって泣いて走り回っていた記憶がある。
家族でそこに来ていたのだがあまりの人ごみではぐれてしまったのだ。

あまり家族で食事なんて習慣はなかったのだが、目覚しい復興の時代、みんなが年に一度の「よそ行き」をきて南に見物に行った・・・なんて事であったに違いない。

そんなことが大きな庶民の楽しみの時代であった。

以来南は青春の光と影を写しながら共にあったのだ。
一軒一軒の町並みを思い浮かべることができる・・・・・・・・・・
30年の飲食業をやってきた僕にとってはそのくいだおれが時代に取り残された結果閉店することに複雑な思いである。

チエーン展開をせず家族経営を守ってきたことが時代に合わなくなったといえるのだがいさぎよい決断だったともいえる。
なかなかできることではない・・・・・そういう意味では、すごいよねえ。

そういう経営だから従業員の今後についても責任をもって対応してくれるにちがいない。

お疲れ様でした。

P.S.
    あそういえば今日淀屋橋の吉兆本店の前を通ったんですけどそれで思い出したことがある。
くいだおれの閉店記舎発表では会長である女将と社長が会見したんですよね、
そして社長がしゃべってその後記者が会長に「何か一言!」って言ったとき会長は「ひそひそ話したらいいんですかねえ・・」ってすがすがしい笑顔で流してた・・・・いさぎよし!・・・本物の浪速商人やねえ、わかるかなあ。

Photo

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2008.04.10

スカイ・スクレーパー

感動的な写真がある。
アメリカ1930年代の摩天楼スカイ・スクレーパー建設当時の日本で言うとび職が鉄骨の上で休憩している写真だ。

Sky2


 
 
 
 













街角の古道具屋で見つけたときその一枚を数万円で買ってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
Sky_2
 


























 
N店の改装のとき表のファサードにその写真をあしらって、LIBERTYがコピーをつけた。
原画は手にはサンドイッチとかドリンク・たばこ、一人はウイスキービンを持っていたりする。
そこにコーヒーカップを乗せたりした。
禁酒法時代が終わろうとする、マンハッタンの風景と共にプロの世界を感じ取ることができるだろうか。
鉄骨の一本一本に職人の魂が宿る。

ステートビルが完成して数年後、一機の戦闘機が突っ込んで燃えた、しかしビルは2日間休みをとって何事もなかったかのように営業を再開した・・・・・・・・・

Make a coffee break

スタイルは ひとつじゃない sky scraper
 
 
 

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2008.04.07

ひな菊は野に咲け13

あきこねえさんは、素敵な女性だった。
中学生になって思春期を迎えていた僕にとっては姉というよりも突然現われた素敵な人って感じであったに違いない。

だんなさんは工務店の作業所などを渡り歩き、大工として腕を磨いていった。
仕事のないときは親父が我が家の増築の仕事をしてもらって生活を支えていた。

ひたむきにがんばるやさしい義兄はその仕事振りを認められ大きな工務店の現場監督に気に入れられて仕事が増えていった。

やがてアパートを借りて我が家を出て行った。子供たちは僕を兄ちゃんとしたい僕もそのような家庭に憧れたびたび訪れては時をすごすことが多くなっっていった。

あきこねえさんも幼いころからの寂しい境遇を忘れさせてくれる一家団欒の生活を心から喜びその母親が近くで自分を支えてくれているという思いに穏やかなときをすごしていたのだろうか。

そのころ「ふみこねえさん」が行商の仕入れでたびたび訪れていた洋服あつらえの店の経営者に見初められとついで行った。

親父は心から良縁に喜び泣いた。

海に流れていた流木の中にその新居の階段の手すりにぴったりの5メートルはある長い木を大阪港から天王寺まで半日かけて歩いて運んでいったのもその喜びがみんなに伝わった。

本人はそのときの思い出をよく口にしていた。

「棒を肩に担いでいったんやけど・・心斎橋を歩こうと思ったんや、流れに沿って歩くのは簡単やったけど途中で引返したんや・・・棒を横に担いだままぐるっと回った・・・ほんなら通行人も一緒にぐるっと回りよった・・はははは」

Tesuri_2

 
 
 

それをいつも聞かされては僕たちは一緒に笑いその幸福感を受け取っていった。

ふみこねえさんは親父がなくなったあともそんな親父の思い出を僕と語るとき二人で笑いながら泣いたものだ。
 
 

あきこねえさんもそんな親父の優しさにつつまれ大阪の生活に慣れ、素敵な子供たちをやさしくやさしく育てていった。

だんなさんはやがて大きな全国的な工務店にその確かな技術力を認められ、いつしか50人もの大工さんを抱える工務店となり、全国の建築の仕事で忙しくなり、皇居、や御所などの名建築も手がけるひとかどの大工として認められていった。

人生はあざなえる縄の如し・・・・とはそのようなことを言うのかもしれないが、本当はもっともっと現実は不思議が一杯なのだった。

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2008.04.02

晩飯 納豆そば

晩飯 納豆そば
決算です 今日の晩飯は夢さんのレシピで思い出したけど冷蔵庫に納豆があった、差し入れの焼酎で寂しくやります。

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2008.04.01

西から昇る朝日

夕日


今日は事務所の前の道路の真西から朝日が昇りました。

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