あきこねえさんの二人の子供たちは明るく聡明で、素敵な子供たちに育っていった。
それはふみこねえさんの二人の子供たちも同じく素敵な子供たちであった。
僕が長く結婚もしないで好きなことをやっていたけど決して家庭を持つことには憧れを失わないでいたことと無縁ではない。
あんな素敵な子供たちを持てるのなら結婚も素敵だろうなあって思っていたのだ。
そしてその夫婦の家庭もきっと素敵なものに違いない・・・・そう思って。
だんなさんは働き者で大工の棟梁として名をあげついに豪邸を建てる。
誰の目にも人生の勝利者と見えていた。
そして、水商売の女性との浮気・・・・世間にはよくあることだ。
ねえさんははじめそれを一人で抱えていた・・・、だんなさんはおぼれていった。
ねえさんは疲れていった・・・・・人生をひたむきに生きようとする心は得てしてそのような罠にはまる。
そんな時、惣七がなくなり1年後サヨが亡くなる。
あきこねえさんは、心のよりどころをなくし、病んだ。
ふみこねえさんはそのことでいろいろ心を砕いたのだが不幸はそんな弱い心を狙い撃ちしてくるものなんだ。
精神を安定させるための薬はさまざまな副作用をもたらす。その整腸剤に時の特効薬キ○ホルムが使われる。
やがて手足がしびれ歩くのが少し不自由になってくる。時がくだって判明するところのス○ン病として一次薬害の被害者となっていく。
それは当初まったく薬害とはとらえられていなかった。
著名学者のウイルス説が受け入れられて、キ○ホルムはづっと使われていった。
やがてそれは薬害訴訟として掘り起こされあきこねえさんはその患者リーダーとして運動の先頭を切ることになる。
当時はそのような運動は反社会的と捉えられたりする時代であったから、家族からも孤立することも多かったようだ。
その年の冬は寒かった・・やがて野に春の草花が芽を吹き始めたころ、僕はふみ子ねえさんから電話を受ける・・・
「あきお・・あきお・あきこねえさんが・・・あきこねえさんが・・・・・・」
わけもわからず僕はかけつけ通夜の席にいた・・・やがて新聞やテレビ局の取材陣が押し寄せる。
マスコミの取材の応対係をする僕はやがて事態を呑み込む・・・・ああねえさん・・・・なんてことだ・・・・・・
ごめんよ・・・助けられなかったんだよね・・・・
次の日の朝刊に一面トップ6段抜きで報道される事態となり、やさしいあきこねえさんに闘うのは無理だったんだと僕は初めて理解した。
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