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2008年7月の8件の記事

2008.07.31

電脳論12 魔界伝説

先月8店目が無事開店したのだが、次の店の計画が進行していて息を抜けない。
ただ、電脳論としての心の解析をしている僕としてはここのところ避けていてはいけない事件が一杯起こっていて急遽書いておくことにした。

通り魔事件が多発している。
僕はこの現象が良く理解できるのです。
誰しもがこのような心理状態を経験しているのですが、そんなことはとっくに忘れていることが多い。

それは大人になったってことで終わらせることも可能なのですが、実はそのことが、通り魔事件の真因だとまで僕は思っている。

孤立して、思うように行かない・・・苦しい・・・不満だ・・・愚痴がでる・・・腹が立つ・・・
誰かの悪口をいう・・・この現象は物理現象です。

電脳論としては、なんの不思議でもなく、プログラムがそのように書かれているのですから。

そこで「誰かの悪口を言う」という部分ですが、これは攻撃態勢に入ったということですね。

「おまえのかあちゃんでーべそ」って言ったことありません?僕の子供時代はよく言いました(自爆)

それはそのような「攻撃戦略」しか持っていなかったことにほかならない。

エンタツやあちゃこ、こんちゃんたちがよく言っていたことを取得したに過ぎません。

「殺すぞ!」って言葉なんかは辞書にもなかった・・・はははは
その武器はいつごろ魔界から送り込まれたのだろうか・・・そうだなあ、漫画でいえば「お前はもうすでに死んでいる」なんて「3年殺し」ぐらいからかなあ。

柔道や、相撲から戦うことを学んだ時代は相手を投げ飛ばした時点で勝負は終わりみたいな喧嘩があってあまり怪我をするなんてことはなかった。

「蹴飛ばす」って武器はプロレスからかもしれないけど「回し蹴り」はブルースリーからだろうね。
あいや、そのころバラエティーで所得番付1,2のタレントがやった影響は大きいと思ってる。

僕が「肥後の守」を持っていた少年時代、これは折りたたみナイフなんだけど、使い方によってはジャックナイフのような雰囲気になり、かっこよかった。

鉛筆削りはナイフしかなかった時代だったから普通に持っていても不思議ではなかった。
野原で遊んでいた少年時代はそれを壁に投げつけて、忍者の手裏剣ごっこだったりした。
たまに喧嘩して怪我をさせる事件も起こったけど血が出ただけで敵も見方もおどおどしたもんだし、子供の喧嘩ですんだんだ。

さーそのように戦闘の文化を考えていくと今の攻撃態勢を魔界はどのように送り込んだのか。

ゲームと、アニメだよなあ。
「イデオン」「アキラ」世代が起こした宗教団体の事件は実に象徴的なことだった。
最終武器で世界を変えようとした。

最近の事件で共通なことは、孤独だと感じる。
孤独だとどんどん自分の心の中だけで戦いを増幅してしまう。
時代が変わってこのような現象を「魔界からの指令」などと言い出すのかもしれないなあ。

僕たちは忘れている少年のころの心を思いおこさねばいけない。
自分の心を知り、本当に大切なのは「魔界」と戦う武器を得ることなんだ。

僕たちは少年のころから周囲を観察し真似して生きてきた。そして大人になった今真似されてもいい文化を子供たちに示しているだろうか。

神戸事件の少年の日記の1節につぎのような部分がある。

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺はまっすぐな道を見失い、暗い森へ迷い込んでいた。」

そしてこれでさえ少年は大人の文化を真似したのだ・・・ダンテの「神曲」・・そしてそれを真似した「聖闘士星矢」・・・・ああ名前までもが・・・・・・

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2008.07.28

岡平健治ライブ5 GLAY伝説

元19の岡平健治さんが率いる3Bラボがちょっと大変なことになっている。
フォークシンガーの正統な流れを伝えているバンドとして「ゆず」とともに「19」は僕の子供たちにも精神的にも大きな影響を与えてきたわけなんですよね。

この前、次男と、自走ツアーの大阪へ行ってきたわけなんです。
岡平君のライブは次男も始めてだったわけで、僕たちは少しおどおどしながら行きました。
入場は、フアンクラブの人たちが優先に整理入場して、僕たち一元さんは最後に入っていったんだけどほとんど最後列・・・幸いモニターが何個かあって僕たちの1メートル前に大きなモニターがあって表情などが良く見えたので返っていい席だったかもしれない・・・でも少し僕は彼の表情に違和感を覚えた。

あがってるような感じ・・涙ぐむ・・・熱烈なフアンも含めてそれが感じられたわけで、戸惑っていったんですね。


乗らないので、岡平君もそれを感じて乗ってくれるように言うわけだけど、僕たち親子は乗らなかった・・・・
僕は若いころは何十回とライブにいったり自分たちでコンサートを運営したんで、騒ぐことは出来るんだけどそんな親父を息子たちは恥ずかしがる傾向にあるので自重したって感じ。
そのうちにバンドの仲間に対してのうまく行っていないことの暴露となって、ソロ活動をする原因をつげる。
全国全都道府県を自分で車で走りライブをやることでメンバーに結束を促しかったんだとわかったんだ。
それにも僕たちは正直寂しさを感じた。

最後に岡平君は「この大阪は今までで最悪だった」といい残して舞台を去った・・・・・・
僕は別にいいんだけど、次男はきっと寂しかったと思う・・・・づっと言葉少なかった・・・・普通コンサートが終わった後はわいわいはしゃぎながら帰るんだけど・・・・・・・・

そんな発言はかれの個人ブログで反省と、言い訳をしている・・・
そしてついにメンバーの二人がビクターから契約を解除される事態となった。

バンドが崩壊するわけではなく日当契約でバンドは出来るわけだけど、事実上の休止となる。
前回も書いたけど、バンドは大なり小なりこのようなことが繰り返し起こるんですよね。

それも30才前後に人として大きな精神的な節目は誰にも起こることなんだ。
ロックで言えばあのビートルズは名作「アビーロード」そして「レッツイッツビー」を最後にポール29歳で解散する。
まあ仲間割れだね。

僕が思い入れが強いGLAYはあの伝説の「幕張」20万人コンサートで燃え尽き解散の危機を迎えたのはやはり28、9才のときだ。

だが彼らは持ちこたえた・・・それはなぜだったか。

それは天才TAKUROの生い立ちに感じることが出来ると僕は思っている。
幼いころに父親を亡くし、大好きなおばあさんとも別れ、小学生時代は悲しくて寂しくて毎日泣き明かしていた。

音楽の芸術を高めるためにバンドをやったわけでなくただ「絆」としての仲間が大切だと思って生きてきたということ。
そのためならGLAYが大切なのではなく仲間が大切だとみんなが思っているということだ。

「BELOVED」なんかはそんなわけで、その思いを良くあらわしてる素敵なバラードだよなあ。

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2008.07.16

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2008.07.12

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2008.07.11

やさしさ時間

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2008.07.10

花2

花2

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2008.07.08

ひな菊は野に咲け 15

人が生きるということは、誰かに求められたわけではないんだ・・・・・・
気がついたときから、とか、そう思ったわけでもない・・・・・
その前から、生まれるずっとずっと前から、僕たちは生きていたんだ・・・生まれ変わりとか、前世とかそういうことではなくて、命そのもの・・・・・・ずっとずっと太古からそれは連綿と受け継がれてきた・・・・・誰一人例外なく。

あきこねえさんが亡くなって、ふみこねえさんと僕は、途方にくれていた・・・お姉さんであったわけだがお互いの親戚に対しての立場が微妙な関係にあったわけで、残された家庭に何かができるという立場がなくなっていたといえる。

だが残された子供たちは、それぞれのお嫁入りのときふみ子ねえさんに母親代わりに指名してきてくれて、僕たちはあきこねえさんの人生が素敵だったと思えた。


悲しいことが多かったかもしれないけど、僕たちにとって確かにお姉さんだったし、素敵な女性だった。

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2008.07.05

花

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