カテゴリー「■暗黒街のボスにならなかった男」の10件の記事

2005.10.16

暗黒街のボスにならなかった男~外伝~あとがきに代えて

私が生涯で、純粋に「恋をした」といえるのはチエ子だけだったと思う。
まーこれは問題発言かなあ>ごめんねすべての恋人達へ(笑)・・・

母さんとは「恋を超える愛」だから・・>息子達へ・・ははははわざとらしいか?

そして現実はそんな純粋な「恋」だけの男と女の先に待っているのは過酷な人生のような気がする。
それほど現実は複雑で「心豊かに生きる」ことが難しくなっているように感じる。

だからこそ若いうちにどのように生きるのが幸せなのかを見極めてほしいと思う。
サンプルは身の回りにいっぱいある。そのとき現実の世界の出来事を見極めてほしい。

作られた小説や、ドラマ、バラエティー、ゲーム、の世界は虚構の世界なのだ。
そうしたバーチャルの世界で作られた言葉に翻弄されて人生を過酷に生きてしまう若者が増えている。

私が還暦をとっくに過ぎてしまって感じることは、人生はもっと単純でよかったんだということだ。
人生はRPG(ロールプレーニングゲーム)に似ているなーーってこと・・・

色々なツールを取得し、パワーを蓄積し、先々の事件で分析し最適な対応をできる能力を獲得しておかねばいけないってこと。
その経過の中では決して他のせいにすることはゆるされない、すべては自分の責任なのだ。

他のせいにしている間は決して遭遇する人生のダンジョンをクリヤーはできない。

近頃世の中で起きている不思議な不思議な事件・・・・小学校が崩壊しているなんてなぜ関係者は解決できないのだろう。解決できないということはやることが間違っているということだ。すべての原因はそこにある。

みんなが意識に革命を起こさねばいけない。
革命とは自己の完全なる否定。そんなことは出来ないんだけど出来ないから革命なんだ、きっと。


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2005.08.28

暗黒街のボスにならなかった男 9

ひゅんひゅんひゅん・・・・

「父さんはあの頃勇気がなかった。
たった一人の姉とも、夢を語った仲間たちとも別れ、極東の片隅で愛した女性との逃避行・・・・
それはそれでドラマの世界にはありうることなんだけど現実には出来るものではなかった。」

「もしあの時それでもとマニラかカンボジアへ渡っていたら、根性もなく力のない父さんは、ごみに囲まれたバラック小屋の板で作ったベッドで二人餓死していたかもしれないなあ、・・多分そうだろうな。」


「でもその頃はだいぶいろいろなことを経験し少しは力もつけていたとはいえるので、ひょっとしたら、極限状態の中から這い上がり、かの国の暗黒街のボスになってたかもしれんねんなあ、はははは。」


「そんなら僕は暗黒街のボスの息子やったかもしれんねんなあ!(^_^)きゃはははは」
「はははは、そうやなあ・・」

僕は笑いながら心の中で
「やあ息子よ!私が親父です、よく来てくれました」って息子を抱きしめていた。

「さあもうおなかいっぱいか?ほんなら出よか、そろそろ路上ライブの連中の演奏が始まるんちゃうん?」

エレベーターに乗り、心斎橋筋のROFT前に出る。
すぐ左隣にいつものバンドが演奏を始める心斎橋MIKI前だ。

このバンドはなかなかうまいしミスチルの曲などは結構ええ音だすので聞ける。
パーカッションは最近使われだした、BOX型のタイプでなかなかうまいし通行人の目をひきつけるわけ。
ただ、少し音のバランスが悪くうるさいので聞きなれてくると逆に聞きづらくなる・・だれかアドバイスしたらええのになあ。
そんなことを息子と話しながら手拍子を打つ。
パーカッションが横に取り付けたツリーチャイムを鳴らす・・澄み渡った音色が広がる・・
一瞬静寂となり、光が走る・・・・・・・・ひゅんひゅんひゅん・・・・・・・・

そのとき一人の小柄な女性がROFT側から走ってきて僕の横に立つ。

「お待たせ!!おなかすいたああ」

エッ・・あっ!チェ子!!・・・・・・

「なにびっくりしてるん?はよいこ!今日BIGSTEPでおいしいラーメン屋さん出きてんて(^_^)」

「よっしゃーー!いくでえ!!走れーーー」・・・・

ひゆんひゆんひゆん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


暗黒街のボスにならなかった男 ~完~


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2005.08.27

暗黒街のボスにならなかった男 8

時空魔神エスカル号 ~1972年冬~

心斎橋は橋の名前だ・・
現在地下はクリスタ長堀商店街であり、その上の中央分離帯に欄干が残されているのみである。
当時それまでの東西に流れる長堀川が埋め立てられ地下駐車場が作られたとき心斎橋は取り壊され陸橋となった。

チェ子(仮名)の勤める会社はそこを北へ渡った長堀に面した大きなビルにあった。
会うときのいつもの場所は心斎橋の陸橋の上だ。

「ごめーん遅くなったあああ(^_^)まった?」
「ううんだいじょうぶ」
「今日は売れた?」

僕はそのころミシンのセールスマンをしていた。
店はそこから南へ50mばかしの大丸の向かい心斎橋しかんこうの隣にあった。
セールスといっても店舗ですることはほとんどなく路上やビルの中に入り込んでするキャッチセールスだった。
まったくうれない時が多かった。
金がないときはその契約時の売上金を晩飯代に当てるなどといった極限の生活をしていたのだ。

「ははははダメでした・・・はらへった・・・ラーメンでも食べようか?」
「うん私もおなかすいたあああきゃははは」

「お金ないでえ」
「えーー私もないでえ」
「いくらある?」

二人で小銭を合わせて数える・・・

「おおおおー1250円か二人の帰りの電車賃のこすとラーメンは食えるな」

二人は橋の南のたもとのラーメン屋に入りしょうゆラーメンをすする。
そこは現在ROFTになっているところの北隣だ。

食べ終えた二人は腕を組み心斎橋筋を南に買わない見るだけのショッピングで歩く・・・・
やがて千日前にでる。

「これからどうする?お金ないしどこもいかれへんなあ」

チェ子が詰まらなさそうに僕を見上げる。

「なあ・・電車賃に残してあるお金でパチンコしようか?絶対勝つから・・負けたら二人とも歩いて帰ることになるけどそのときは僕送っていくし・・なっ絶対勝つから・・」

「うんええよ!絶対勝って!きゃはははは・・負けても歩いて家までおくってくれるんやったらそれでもええし」
「えーーー僕は生野まで歩いて送って行って、それから大阪港まであるかなあかんねんなあ・・うわーー」

千日デパートの向かいのパチンコやにはいる二人・・
チェ子はすぐ負けるでも笑ってる・・・僕は真剣・・・たちまち2000円ぐらいを勝つことが出来た。
「ははははやったね!コーヒーのめるぞ!」「いえーーいいやったね!(^^)きやあはははは」

虹の街におりて喫茶店に入る・・・・二人の夜が更けていく・・・・・あーー夜よこのまま・・・・・・

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2005.08.13

暗黒街のボスにならなかった男 7

時空魔神エスカル号 ー1973年秋ー

大阪港の中央突堤の端に車は停まっていた。

西の沖合には大関門灯台と呼ばれる船舶の出入り口がある。

秋の夕暮れは特にその二つの灯台の間へ太陽が沈んでいくのだ。
湾内は沖合に貨物船が停泊し、通船が忙しく行きかう。
はしけを引っ張るタグボートが汽笛をならし日の落ちないうちにとパワー全開で安治川河口へと走っていく。
海は波もなく夕日が反射してきらきら輝きまぶしい。

Minato


やがて波間に太陽が没し赤く染まった空と海が暗く変わっていく。

西の果てに沈んでいく太陽をだまって二人は眺めていた。
それは待ち受けている二人をあらわすのか。

女:「その国でもやはり同じように差別の歴史があり人と人が争っているの・・・」

女は男の肩に頭を預ける。
暮れなずむ夕日で赤い涙が輝いてほほを伝いはらはらと落ちた。

男は思う。

すべてを捨ててどこか極東の僻地に逃亡することで二人の
思いは遂げることが可能なのではないか。
はたしてその「勇気と力」はあるのだろうか。

男は言葉を飲み込み、ただ赤く光る海をみていた。

やがて夜のとばりが支配し、星はきらめき行きかう船の灯りと汽笛、灯台の点滅が続く。
今まで凪いでいた風はやがて東からの風となり秋の深まりを告げる。

ああ夜よそのまま・・・・


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2005.08.09

暗黒街のボスにならなかった男 6

時空魔神エスカル号 1971年夏 ~告白・カミングアウト~

僕たち音楽仲間は日本海の丹後半島に海水浴に来ていた。
大阪の若者は少し遠出の海水浴はこのあたりまでよく来る。

浜辺で4人連れの女性たちと仲良くなり花火などで興じた。
話の中で、姓を聞き出し大阪のある区からきていることをしる。

そして帰ってきて電話帳でその姓の家に片っ端から
「先日日本海にいってませんでした?」って電話をした。

何十件かかけただろうか、おばあちゃんがでてきて「あーー孫の
ことかいなあ」って言ってくれて隣の家まで呼びに言ってくれて
あのときの女性たちに連絡が取れたわけだな。

早速日曜日のバンドの練習の日に遊びに誘って、合宿所兼音楽
スタジオとなっていた我が家にその4人グループがやってきたんだ。

たちまち仲良くなってその中の一人と父さんは付き合うようになった。
10才年下だった彼女はだから当時18才か。

それから1年ほどたって、彼女から在日であるとの告白があったわけだ。

でも父さんはその前にすでにそのことはわかっていた、住んでいた地
域とその感性でわかったし、覚悟を決めるため彼女の住民登録を調
べていたんだ。当然該当者は出てこない。そのような方法で身元調査
は今でも行われているんだよね。

だからその告白があっても父さんは「そうなんやあ」って笑っていたけど、
彼女がけなげにも笑っていたので逆に驚いて、少し深刻そうにしなくて
はいけないかなあなんて思ってしまった。

でも彼女はそのあと一人家路に着くバスの中ではらはらと泣いたそうだ。

彼女は小柄で、明るくて、優しくて、すけべだった・・・・はははは。
父さんは子供の頃から在日の人へのこだわりなど全然なかったから逆に
運命に導かれるように二人は深く深く恋に落ちた。

その先には悲しい物語が待っているだろうとは思ったけど。

band


つづく

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2005.08.08

暗黒街のボスにならなかった男 5

まー大阪の風土は他府県に比べて戦後独自の変化を遂げていったように感じるなあ。
もう少し在日の人たちの成り立ちを考えてみると父さんはこんなことを感じてる。

1910年の日韓併合によって韓国は日本となったわけやけど向こうの民衆にとっては侵略され虐げられたと、いろいろ恨みに思っている人たちは今でも多くて、当時日本で一旗あげようと渡ってきた人たちや、中には向こうに居れなくて逃げるようにきたとか、歴史の中でよく言われるのは、強制連行のような形でつれてこられて炭鉱などで働かされた人たちもいたようだ。まー向こうで働かんか?金になるでってつれてくるというようなことは今でもいろいろなところでやってるわな・・たとえば今東南アジアの女性たちに対する「ジャパユキさん」なんかも国際問題になってるし。

いつの時代も権力を傲慢に使ったり、儲けのために人の痛みを忘れてしまってることって誰にでも起こりうることで反省せなあかんことだろうなあ。

そしてそのような民衆の思いというのは幼いころから教えられていたことで刷り込まれた思い込みというのも現実にはよくあることなんだなあ、だから僕たちは事実は何かということを見極めなくてはいけないことなんだけどそのことは実はめちゃくちゃ難しいことであまり「それは事実はこうなんだ!」と声高に言うことはそれ自体間違っていると父さんは思ってしまう。

物事には2面性が必ずありどちらも間違っておりかつどちらも正しい・・・と父さんはいつも思うようにしている。
そしたら相手を許せ、自分も反省できる。

そういうようなさまざまないきさつで日本に渡ってきた人たちもそれからの生き様はいろいろあって、勝ち組に乗っていけた人たちは一応日本でも認められて、裕福に暮らせていけることもあったようだけどなかなか一筋縄でではいかないのがこの問題で、戦前戦中は特高警察などでそれはそれは権力の弾圧はすごいものがあったようで、

仲間を裏切ったり仲間のために命をなげうったりとさまざまな物語があって戦後の極限状態に突入していったわけだな。

そんな時日本は占領米軍の施策もあったのだろうけど日本にいる人たちは日本人でなくなったから帰りなさいってなったんだよな。それは追い返されるって感じに思った人たちが多かったようだけどすでに2世、3世になっている人たちは国籍もない状態で住み慣れた日本や、友人恋人、日本人の伴侶と別れて帰ることなど絶望的なことだったに違いない。

中にはどちらにいっても命が狙われるという人たちもいたようで、野を超え山を越え逃亡して、町に紛れ込み日本人に成りすましたり、戦後の戸籍の火災消失に乗じ戸籍を取得したり、中には声がでない振りをして山間僻地の集落にたどり着き、土地の地主に拾われて使用人になって生き延びた人もいたようだ。

父さんは昭和30年代テレビが普及しだしたころ近畿のテレビの届かない山間僻地の村や町にアンテナ基地の設営のための調査や工事で泊まり歩いたときもちょくちょくそのような人が村の有力者に使われていて半ばみんなそのことを暗黙の了解事項として話してくれたことがあった。
戦後の一時期不思議な事件や騒乱事件が多発したけどそのような混乱の中だったからって思えば納得できることだとおもう。

 人生のドラマというものはさまざまで僕らがいかに幸せな状態に暮らせているかが思い知るよなあ。

そしてトクオちゃんたちのように組を作りそうしたはみ出した人たちがそこへ半ば逃げ込むように終結していったわけでみんな仲間のためなら自分の命をなげうってもいいし仲間以外はみな敵だという集団になって行った図式はなんとなく納得できるよな。

僕たち特に大阪の人は友人、恋人、親戚にそうした人たちがいっぱいいてさまざまな物語をつくって生きてきたんだよね。

そうそう夏になると思い出すことがある。
子供のころは住吉神社分社の夏祭りではおみこしが出て、それは勇壮ですごかった。

 おみこしの上にはいつも井田組の若集たちが4人のって白装束に赤い烏帽子づきん赤いたすきで太鼓をたたいていて僕はまぶしくて大人にあこがれて、トクオちゃんやヤスコちゃんとどこまでもどこまでも付いていったっけなあ。

つづく

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2005.08.02

暗黒街のボスにならなかった男 4

井田組(仮名)の長男ののトクオちゃん(仮名)は僕らの町内のガキ大将やった。
でも優しくて面倒見がよくていつも一緒に遊んでた。

隣町の金元組(仮名)の子たちのグループとは遊ぶこともあったけどよく戦闘状態になった。
ほら!この口のしたの傷、これは物干し竿で突かれた。


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電車道を挟んで南側一帯は銀座商店街っていって古くからいる住民がいてそこともよく戦闘したけど親がしっかりしてたからか僕ら貧乏な北側連合国軍は孤立していったなあ。

ほとんどの子供たちが勉強せんとけんかしたり走り回って遊んでいた時代やった。
父さんの両親は行商して昼間はかぎっ子やったから、いつも井田組で遊んでた。
トクオチャンのオモニには子供のようにかわいがられた。

末っ子のヤスコちゃん(仮名)とはお医者さんごっこもしたかなあ(はははは)
オモニは大きくなったらヤス子と結婚してや!っていってた。(はは)

戦後の焼け跡からの復興の時はみんな貧乏やって助けあわな生きていけへんかった。

だからトクオちゃんの親父さんも身寄りのない人や復員してきた人たちをあつめて組として船の荷役やらで仕事を取ってきて皆でがんばっていったんや。当時はそのように暴力団なんかではぜんぜんなかったし、生きていくための拠点やったな。

やがて中学ぐらいになって、学校でクラブとかで過ごすようになったりしてすっかりみんなと会うこともなくなって
いたころ、トクオちゃんの親父さんがなくなってトクオちゃんが跡をついだわけやな。

時代がだんだん景気がよくなってくると皆自分だけが儲けたいと思うようになっていったんかなあ。
そのころの組はだんだん今の組織に似てきたわな、博打やら、のみ行為、縄張り抗争やな。

トクオちゃんもどんどん巻き込まれていった。
あんまり勉強してなかったから、大きくなっていくと危なくなってきた。
とうとうまだ小さかった「神戸」と大勝負してすべて失ってしまった。

築港の今田組(仮名)にひろわれて使い走りなどしていたけど、70年ごろ僕から金を借りていなくなってしまった。
そのころ妹のヤスコちゃんとも再会したけど、すっかり人生に疲れたようにやつれて見る影もなかって悲しくて、すこし微笑んだだけで言葉を交わすこともなかった。

もしや、父さんがや、そのオモニが言ってたようにヤスコちゃんと所帯をもって、トクオちゃんと一緒に井田組をしっかりした組織にしていってたら、「神戸」にも勝って今頃は「大阪」って言えば全国にわかる組織のボスになってたかもしれんねんなあ・・・・はははは

つづく

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2005.07.27

暗黒街のボスにならなかった男 3

 半島の在日の人は大阪では今でも人口の5%、日本人と結婚して親戚が増えたり、帰化した人や不法
滞在者など含めたら1割以上になるんちゃうかな。

それだけに大阪に古くから住んでる人は普段口には出さんけどみんなそのことを意識しながらすんでるわけや、たとえば選挙権がないひとが親しい人たちにいっぱいいてるわけやからあんまり政治のことなどしゃべらんわな。

帰化して日本人になったら解決するってことでもなくて、地域社会で団結して生きている人にとっては帰化してでていくことは裏切りに近い行動ととらえることもあるらしい。
結局どちらの社会にも完全には許されていないことになってその孤独感が増幅していくようだ。

 国会議員の新井氏は平成の坂本竜馬と標榜して日本に生きて日本人になりきろうとがんばっていたけど最後の最後はよりどころのない孤独の中で数年前命をたってしまったよなあ。


父さんが少年だったころは、戦後すぐやからもっとたくさん住んでたんや、でも戦争に
負けて、韓国が解放された形になってみんな帰りなさいってことになったわけや、でも
いまさら帰るところもない人たちは残ったわけやな、つまり、彼らはそのいきさつはいろいろあるけど結局祖国の人たちからしたらやっぱり国を捨てて出て行った人って差別されたりすることを感じ取ってしまうって人もいたってことかなあ。

 残った人たちで力をあわせてがんばってきたってゆうことや。
一旗あげたら堂々と国にも帰れるって人も大勢いたとおもうし、こちらならすべてが分かり合える仲間がいるからって思いもあったやろうなあ。

あんまり他県の人には理解されてないけど大阪はそんな風土やねんな。

つづく

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2005.07.22

暗黒街のボスにならなかった男 2

「恋人は在日やった・・当時は厳しい時代で向こうの親兄弟は
厳しい人たちだったが、とにかくこちら側を説得する必要もある。
でもこれがとんでもなく厳しかった。
両親がなくなり、たった一人の姉が裕福な家にもらわれていっ
たけどいろいろあって苦労してた。

その姉が

「あんたを殺して私も死ぬ」って包丁を持ち出してきた.

「ははははわかったって!でもこの先どうなるか姉ちゃんの
言いなりになるような僕はよい子でなくなってるからな、でも
わかってるってちょっとだけその気になっただけやったから。」

そういった後漠然と生涯結婚はしないかもしれないなって思った。

その後二人はますます深みにはまっていく結果になってしま
ったけど状況が変わるわけでもなかった。


つづく

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2005.07.17

暗黒街のボスにならなかった男1

先日、息子とアメ村を徘徊した。
GIBSONの物色とTEEN’Sコンテスト申し込みだ。
そのあといつものようにお好み屋に寄って語る。

「TEEN’Sでの演奏する曲決まったか?」

 「決まったよ、僕は作詞作曲ヴォーカル、サイドギター、曲名は
 胸の中に~Keep in mind」

「おーーすごいや、そうや出ろ!パワーや遠慮せんでええ
そのなかからしか力は生まれないとおもうで」

  「あーこの前お父さんのバンドしてたときの写真見つけたで^^」

「あーーあの写真かあ、あの頃はいろいろあったけどほんますごい時代やった。
楽しいこともいっぱいあって」

「彼女はできたか?」

  「いや別に・最近友達はなんか隠れて彼女作ってるみたいやけど
  僕はいらん、友達といっぱいすることあるしそれでええと思ってる」

「うんそうかあ、そうやなあ、それでええ。仲間を作ることや・・・・・
あのなあ・・・・これ秘密やけど、あの写真の中にヴォーカルの女の子いたやろ?あの子は
父さんの恋人やった」

  「あーーそうなんやあチエ・ジウみたいな・・ほんでどうなったん
  母さんと違うで」

「はははは」

つづく

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