まー大阪の風土は他府県に比べて戦後独自の変化を遂げていったように感じるなあ。
もう少し在日の人たちの成り立ちを考えてみると父さんはこんなことを感じてる。
1910年の日韓併合によって韓国は日本となったわけやけど向こうの民衆にとっては侵略され虐げられたと、いろいろ恨みに思っている人たちは今でも多くて、当時日本で一旗あげようと渡ってきた人たちや、中には向こうに居れなくて逃げるようにきたとか、歴史の中でよく言われるのは、強制連行のような形でつれてこられて炭鉱などで働かされた人たちもいたようだ。まー向こうで働かんか?金になるでってつれてくるというようなことは今でもいろいろなところでやってるわな・・たとえば今東南アジアの女性たちに対する「ジャパユキさん」なんかも国際問題になってるし。
いつの時代も権力を傲慢に使ったり、儲けのために人の痛みを忘れてしまってることって誰にでも起こりうることで反省せなあかんことだろうなあ。
そしてそのような民衆の思いというのは幼いころから教えられていたことで刷り込まれた思い込みというのも現実にはよくあることなんだなあ、だから僕たちは事実は何かということを見極めなくてはいけないことなんだけどそのことは実はめちゃくちゃ難しいことであまり「それは事実はこうなんだ!」と声高に言うことはそれ自体間違っていると父さんは思ってしまう。
物事には2面性が必ずありどちらも間違っておりかつどちらも正しい・・・と父さんはいつも思うようにしている。
そしたら相手を許せ、自分も反省できる。
そういうようなさまざまないきさつで日本に渡ってきた人たちもそれからの生き様はいろいろあって、勝ち組に乗っていけた人たちは一応日本でも認められて、裕福に暮らせていけることもあったようだけどなかなか一筋縄でではいかないのがこの問題で、戦前戦中は特高警察などでそれはそれは権力の弾圧はすごいものがあったようで、
仲間を裏切ったり仲間のために命をなげうったりとさまざまな物語があって戦後の極限状態に突入していったわけだな。
そんな時日本は占領米軍の施策もあったのだろうけど日本にいる人たちは日本人でなくなったから帰りなさいってなったんだよな。それは追い返されるって感じに思った人たちが多かったようだけどすでに2世、3世になっている人たちは国籍もない状態で住み慣れた日本や、友人恋人、日本人の伴侶と別れて帰ることなど絶望的なことだったに違いない。
中にはどちらにいっても命が狙われるという人たちもいたようで、野を超え山を越え逃亡して、町に紛れ込み日本人に成りすましたり、戦後の戸籍の火災消失に乗じ戸籍を取得したり、中には声がでない振りをして山間僻地の集落にたどり着き、土地の地主に拾われて使用人になって生き延びた人もいたようだ。
父さんは昭和30年代テレビが普及しだしたころ近畿のテレビの届かない山間僻地の村や町にアンテナ基地の設営のための調査や工事で泊まり歩いたときもちょくちょくそのような人が村の有力者に使われていて半ばみんなそのことを暗黙の了解事項として話してくれたことがあった。
戦後の一時期不思議な事件や騒乱事件が多発したけどそのような混乱の中だったからって思えば納得できることだとおもう。
人生のドラマというものはさまざまで僕らがいかに幸せな状態に暮らせているかが思い知るよなあ。
そしてトクオちゃんたちのように組を作りそうしたはみ出した人たちがそこへ半ば逃げ込むように終結していったわけでみんな仲間のためなら自分の命をなげうってもいいし仲間以外はみな敵だという集団になって行った図式はなんとなく納得できるよな。
僕たち特に大阪の人は友人、恋人、親戚にそうした人たちがいっぱいいてさまざまな物語をつくって生きてきたんだよね。
そうそう夏になると思い出すことがある。
子供のころは住吉神社分社の夏祭りではおみこしが出て、それは勇壮ですごかった。
おみこしの上にはいつも井田組の若集たちが4人のって白装束に赤い烏帽子づきん赤いたすきで太鼓をたたいていて僕はまぶしくて大人にあこがれて、トクオちゃんやヤスコちゃんとどこまでもどこまでも付いていったっけなあ。
つづく
最近のコメント