カテゴリー「■しろやま2号の旅」の17件の記事

2006.05.08

しろやま2号の旅再び~天のいかづち~

丘の上のテントは夏の夜の嵐に翻弄された。
バケツをぶちまけたという比喩はこのことを言うのだと
思えるようなすさまじい風雨は容赦なく小さなテントを
打ち、漆黒の闇を打ち破る雷鳴がひかり、揺らす。

その雷鳴は近くに迫っていた・・・生きる力を・・・・・・
そのために僕はここにいる・・・・・・僕のパワーがその
事象に打ち勝ってみせる・・・・・・・逃げるということは
すべてを失うということだ・・・・逃げない・・・・・・・・・・

吹き飛ばされそうにゆれるテントのすそを両手で押さえ
必死に絶えていた・・・・・・・・・そのときであった。


目もくらむ光と、すべてのものを砕くような天のいかづちが
落ちた。

だだーーーーーんんんん

その瞬間僕は全身が光となり丘の上から弾き飛ばされるように転がり落ちていった。

落ちたあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

すべての意思は完全に打ち砕かれ僕は丘のしたの波打ち際に
テントに包まれるようにしてしびれて丸まっていた。
われに返ると同時にすさまじい恐怖が全身を貫いた。

風雨は激しく雷鳴はとどろきそこかしこを打った。
天はそのいかづちを意思を示すがごとく岬に打ち続けた。

漆黒の闇の中ずぶぬれの僕は震えながらテントを体に巻いたまま
波打ち際にただ丸まってうづくまっているばかりであった。
そこには足の長い数センチはあろうかという蜘蛛のような生き物が
体中をはいまわっていたがなすすべもなく、なるがまま、風雨雷鳴に
身をまかせづっとづっとうづくまっていた。

長い長い夜であった、雷鳴は少しづつその間隔を長くはしていたが
風雨は果てしなく僕に襲い掛かっていた・・・それはづっと永遠に
続くがごとく僕を打ち続けた・・・・果てしない絶望の時が何時間も何
時間もつづいた・・・・
しびれるような寒さと恐怖の中僕はづっとづっとうづくまり続けた。

光に照らされ僕は目を覚ました。
いつしか風雨は収まり、うづくまったまま僕は寝入っていたのだろう。
くるまったテントからでる。


光り輝くすがすがしい朝が訪れていた・・・鳥がさえずり木々が朝露に
輝き、浜辺の波はさわさわと寄せては返していた・・・・・・・・・

明日 旅に出ようと 思います
生きている唯一の 証は
私の心の中にこそ あるんだと

あーーーー僕はその場に寝転がり朝の光を全身に受けた・・・・・・・・

そのとき天は、あらたなる大冒険への旅立ちを許したもうた・・・・・・・・・・

心から笑うことが 幸せ なんだと
あなたとの出会いでそれを知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います

              しろやま2号のたび再び ~完~

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2006.05.05

しろやま2号の旅再び~風雨雷鳴の丘~

南の水平線に光が走り、喜界島にかかる黒い雲の姿が現れる。
それははるかかなたのことであったが、それは恐ろしい勢いでこ
ちらに向かってきた。

あーーまた雨か・・・まあ仕方ないか・・・・
そのうちごろごろという雷の音が伴っていることに気がついた。
あーー雷だあ・・・・うん?・・・ここは丸い丸い牧草だけの丘の
上にテントが張ってあるわけで、雷にとってとんでもない標的
ではないかい。

まずい・・・・でもがんばる・・・怖いことなんかない・・・逃げるもんか

そのうち黒い雲は上空を覆いつくし始めた・・・そして雨が降り出す。
そして風だ・・・「ごろごろ」遠くで「雷が鳴る・・・・・・・・・・・・・・・

ますます雨と風が強くなる・・・テントがばたばた揺れる・・・・・・・

うーーーーこんなことで負けるものか、ここで逃げたらすべて終わりだ。
僕は逃げない・・そのために今までがんばってきたんだ・・・・

もし雷に打たれたらそれは僕の運命だったんだ・・・・僕はいのちを
賭ける・・・・・・・・・・・

風雨はますます激しく雷の音も近くなり、光が走る・・・・・・・・・・・
テントが飛ばされそうになり、内側から押さえる・・・・・・

雷の音がどんどん近くなる・・・がらがらがらあああ・・・ドーーン・・・

僕は逃げない・・死んでも逃げない・・・・・・・

天のいかづちがそこまで来ていた・・・・・・・・・・

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2006.05.02

しろやま2号の旅再び~牧草の丘~

光あふれるゆったりとした時が流れる・・
毎日、ゴムボートに荷物をつんで入り江を回り次の野営地を
を見つけてはテントを張る。
夏もお盆を過ぎて土用のうねりが出てきて夜はちょくちょく雨と
風が出てくるようになりそろそろ潮時だ。

明日は大阪へ帰ることにする・・最後の野営地は見つけておいた
最高の場所にすることにしよう。

そこは坊の岬の先端より少し南側、高さ10mぐらいの丘になった
岬になっていて牧草だけが生えていて丸い丸い美しい場所だ。

その上にテントを張れば最高の絵となるのではないか・・・・・・
日が落ちる前にテントを設営する・・・・・あーーー見事な風景だ。
丘の下へ降りては黄色いテントを眺め写真に収める。
やがて夜になり、テントの中に灯りをともす。

テントが満天の星の下鮮やかに浮かび上がり、夢のような姿。
あーー人生はなんて素敵なんだ。僕はこのゆったりとした穏やかな
時を生涯忘れないだろう。

生きているということ・・・生きてきたということ・・・・・生きていて
良かったんだということ・・何かに許されたのだということ・・・・・・・・

丸い丸い丘の上に灯りに浮かび上がった黄色いテントの中で横に
なり、開け放った入り口から満天の星を眺め悠久の時を思い僕の目
からも星のしずくが落ちた。

はるか南、星空にかすかに浮かぶ喜界島にかかる雲があった。
その間に光が走る・・・・そして恐ろしい速度で向かってきていた。

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2006.04.25

しろやま2号の旅再び~太陽がいっぱい~

岬の朝はすがすがしい光に満ちていた。
小鳥がさえずり、打ち寄せるさざなみはいのちの鼓動。

水平線のかなたに小さく鬼界島が見える。空は晴れ渡り
日差しがきらきらと海面に揺らめく。
Kaigan2

水中銃を手に海に入る・・・海は澄み渡り南の魚が色とり
どりに群れ泳ぐ。

美しい・・・・時折、大きな魚影が前を通り過ぎる・・・
ただ大きすぎて銛で打ったらそのまま深みへ引きずり込
まれそうで、少し不安・・・・・・そこそこの魚に狙いを定めて
発射・・・まあそんなに魚はとろくはなかった、水を得た魚の
ごとくすばやい。

何時間もかけて小さな魚も含めて数匹をとり、昼食の用意だ。
湯が沸き、魚を焼き、腹が膨れると、ギターを弾き読書三昧
テントでまどろみ、また海に入る。
ゴムボートで入り江を回り探検だ。

あーー満ち足りた時間が無限に続くかのように僕は大自然に
包まれて、幸せな時を過ごしていった。

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2006.04.20

しろやま2号の旅再び~坊の岬牧場~

汽車を乗り継ぎバスに乗り換え坊の津のおじさん宅についたのは
夕方が迫っていた。
わあわあ集まる親戚中の人たちにあいさつもそこそこに一人岬へ
向かう。

決して心配は要らないから打ち捨てておいてほしいと言い残して。
1時間ほどあるいて程よい入り江にたどり着き、あわただしくテントを
張り夕餉の支度だ。

火を起こしもらってきた水で湯をわかす、その頃開発された湯で戻す
ごはんと漬物で腹ごしらえがすんだころ夕日が落ちる。

焚き火を見つめ寄せる漣の音に耳をすませる。

嗚呼生きていること・・・何もかも捨ててきたという思いと心の中には
いっぱいの力を蓄えてきたという思い・・・・・孤独だと思っていたけど
いつのまにかたくさん友達が増えて、むなしく過ぎた6年前の旅とこの
旅の途方もない経験・・・・焚き火の光が未来への希望の光となって
僕を照らす・・・・・・・・・大自然のやさしさが僕を包みまどろむ・・・・・


ひゅんひゅんひゅん・・・・・・・・
1965年8月・・・・

僕の家の前に黒いクラウンが来たのは不思議なめぐりあわせだった。

次の週末同期の仲間と日本海へキャンプに行く予定であったが共有の
テントが柳君の家に行っていたままだったので、晃三たちが車で彼の
家にとりに行って、そこで通夜が営まれていることを知った・・・・・・・・・
事実を知りあわてて親友だった僕に急報、連れに来たってことだった。

その週末同期会のキャンプは予定どおり行われ僕も日本海にいた。

仲間から離れ一人離れた海岸で寝転んで僕は不思議な光景を眺
めていた。

30前後の男が岩場の小さなテントの横の日よけの下で何か書き物
をしている。
しばらくすると、手を休め、足ひれをつけ、水中眼鏡にシュノーケルを
つけ、水中銃をもって海に入っていく・・・
なんどかもぐり、やがて30センチもあろうかという魚をついてあがってく
る・・・それを岩場に転がし又書き物に没頭する。

それは別世界の出来事のように思える不思議な光景であった。
そのように生きる人もいるのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひゅんひゅんひゅん

日はとっぷりと暮れていた。焚き火を眺めながらわれに帰った僕は
ボートを取り出し、膨らませる。
分解していた水中銃を取り出し組み立てる。

満天の輝く星星を見ながらギターを枕に横になり、しずかに寄せる
波音を聞く・・・・
やさしい自然に抱かれた僕はいつしか深い眠りについた。


~続く~

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2006.04.19

しろやま2号の旅再び4

席にはじめからいた彩さんに声をかける。

「どちらまで行くの?(^_^)」

「熊本ですう(^_^)」
「どこまで?」
「あっ僕?終点鹿児島あ」
「えーーー遠おお!」

「旅行?」
「帰省・・夏休みだから・・」
「そうなんだ、ってことは学生や」
「そう」
「どこの大学?」
「東京の芸大」
「うわーー芸大・・芸術かかあ・・絵え書く?」
「えーー違うよはははは」

隣の恭子が割り込む

「えーーーピアノ弾くううう?」
「まあそんなとこかなあ」
「すごいい」かっこええなあ」

「お二人は夫婦?そんなことないか恋人?」

「えっ?ああ、そうそう逃避行・・駆け落ち・・」
「えーーーーうそようそよこの汽車ではじめてあったあ」

「はははは」
「くすくすくす」
「ふふふふ」
「わーーーー」
4人が一気に打ち解けていく。

それからの4人は恋愛論、社会時評、人生論、多岐にわたり
話が弾む・・
恭子は宇部までお盆休みで帰省、神戸から乗った涼子はスポ
ーツ店に勤めていたが恋に破れて岡山の実家へ帰る。

生涯結婚はしないと思いつめていた・・・・
身の上話を聞いたりそれぞれの人生観を語ったり気持ちが
高ぶっていく、泣き出すものまで出たり、それでも4人はもっと
未来を見つめて生きていこうと結論を得る・・・岡山に着き
彩が汽車を降りるときは残った3人は窓から身を乗り出すように
手を振り、必ずいい恋をするんやでええ、結婚しいやああああ
と100年の友のごとく別れを惜しんだ。

その空間は不思議な空間であった。
まったく違う人生を歩いている若者が偶然乗り合わせた汽車で
ひと時の人生を共有し、それまでの人生になかった素敵な出会
いを知り、そしてまた一人一人が新たな旅に出る。
宇部で恭子が降り、熊本で彩が降りる、それぞれがまた別々の
人生を歩みだす・・・いつかまた出会うことがあるのかもしれない

でもそんなときを必要としないほど語りつくしたたびであった。
それは4人が35年の時空をタイムスリップしその空間に集合した
のかもしれない、それほど共感し未来を信じあう心の友となったの
だった。

熊本で彩を見送り、僕は深い充足感に満たされ深い眠りにつく・・・
6年間の激動の時間が今やっと答えを示してくれたように思えた。
間違っていなかったのだ、そう心から思えて深い深い眠りに落ちた。

明日 旅に出ようと 思います
生きている唯一の 証は
私の心の中にこそ あるんだと

心から笑うことが 幸せ なんだと
あなたとの出会いでそれを知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います


汽車はそんな僕を乗せて深夜の九州を南へ南へ驀進していった。

~続く~


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2006.04.18

しろやま2号の旅再び3

3時に出たしろやま2号は山陽道を西へ向かう。
最後部車両の連結部にたくさんの荷物を床に置き
夏の暑さに耐え深田恭子似の女性のミニスカート
を眺めたり・・・・・

そのとき前の車両から車掌が客をかき分け、僕達の
ところを通り過ぎながら声をかける。

「前のほうの車両すいてますよ!(^_^)」

「あっ!そうですか(^_^)」

その瞬間僕は深田恭子の大きな荷物を抱えていた。
「行きましょう(^_^)荷物持ちますから」
僕の荷物は置いたまま前の車両に向かいだす。
あっけにとられるように見ていた彼女はわれに帰り
残った荷物をもって僕についてくる・・

人を掻き分けどんどん前の車両へ向かう。
必死についてくる彼女・・・・・
やがて車両ごとにすいてきて一番前の車両で
20才ぐらいの上戸彩似の女性が一人腰掛けている
BOX席があった。

「あっ!ココあいてます?(^_^)」

「あっはい」

網棚に恭子さんの荷物を乗せ、彼女を席に座らせ
僕は元の車両に自分の荷物を取りに戻る。
最後尾までもどるが込んでいるので一度にもてなく
2度往復して荷物を運ぶ。

運び終わってふーっと息をついたとき汽車は神戸
についた。

乗ってくる客・・中に一人篠原涼子似の21,2歳の
女性が大きなボストンをかかえやってくる。

「あっここひとつあいてますよ(^_^)」
かまわずボストンを取り網棚に乗せる僕」

「あすみません・・・」

偶然男は僕一人に女性3人の6年前のしろやま2号
のたびと同じような組み合わせとなった・・・・はははは

忘れえぬ旅の始まりであった。

~続く~

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2006.04.17

しろやま2号の旅再び~旅立ち~

1971年8月・・・
前の旅から6年が経っていた。
立ち止まったらすぐ息が止まるかのように突っ走ってきた。

時代は大きく変化していく。
70年安保60年よりも激しく荒れた。梅田や新宿で電車が燃え
大学に機動隊が乱入した。
初めて騒乱罪も適用された・・そして何事もなかったかのように収束
して行った。
ベトナム和平が実現しても残された傷跡は深く、若者のこころは
沈殿していった。

人間は何をしておるのか・・・・猛烈からビューティーフルへと意識
の変化を喧伝するマスコミに若者はなすすべもなくただ怠惰な日々
へと埋没して行った。

この団塊の世代の若者達が目指したものは何だったの
だろうか・・・夢見た世界を実現したのだろうか・・・・・・

明日 旅に出ようと 思います
生きている唯一の 証は
私の心の中にこそ あるんだと

心から笑うことが 幸せ なんだと
あなたとの出会いでそれを知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います

僕は再びしろやま2号の旅に出る・・・・・・
親戚の経営する坊の岬牧場は岬一帯に牛が放牧されていた。
美しい岬のたくさんの入り江は格好のキャンプ地のようで僕は
そこで1週間をテントで暮らそうと思ったのだ。

ゴムボート、水中銃、フォークギター、本、食料、テント・・
たくさんの荷物を抱えて、しろやま2号に乗り込んだ。
お盆前の帰省客で超満員で、客室のほうへ入ることも出来ず
僕は車両と車両の間のデッキで荷物を抱えてたったまま汽車は
大阪駅を出て行った。

そこにミニスカートの22,3歳ぐらいの素敵な女性がたくさんの荷物
と共に立っていた。

さあ旅が始まる・・・・・・・

~続く~

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2006.04.14

しろやま2号の旅~再び~

高卒で就職して無我夢中で働いているうちにいろいろな
人生の事象に遭遇して、やっと自分の意思で生きてやろうと
思ったときもう10年がたっていた。

不平不満はもうやめだ。
これからはすべて自分の責任だ。
赤信号をわたってみよう自分の心が見える。
駅のホームで「マリアッーーゲラウエイ!ーーー」と
叫んでみよう。そこにはなにがあるのか。

一度僕はぶっこわす・・・まあそんなかんじだったなあ。
そして一度セールスマンを経験してみようと思った。

放浪のたびから帰ってルートセールスマンに応募するが
なかなか採用されない、技術者上がりですでに28才、
企業としても即戦力で使えないものは採用したくないの
だろう、その日も職安から紹介された企業に面接に行く
職安の玄関を出たとき中年の男に声をかけられた。

「あーー仕事さがしてるんですかあ(^_^)」

「あはい・・」

「営業の仕事やってみないですか?」

「エッ!やってみたいんです!」

「よかったちょうど・・梅田であたらしい営業所を開設していい人材を
探しているんです。。今から事務所に行きましょう、支店長が面接
しますから。。君なら大丈夫ですよ。行きましょう!」

道すがら聞くとミシンのセールスマンの募集であった。
セールスに関する本は数冊買い込んでいたりして、ミシンのセールス
は怖くて、配達が主のルートセールスでもと思っていた僕は事の成り
行きに抵抗することも出来ずリッカーミシンの梅田支店に行き簡単な
筆記テストと支店長の面接を受けた。

即採用が言い渡された・・・まあ完全歩合給のミシンセールスマンは
基本的にだれでもなれたのだが、新規に開かれた梅田支店は、西日本
の営業所の幹部養成施設として機能していてその幹部候補生が僕をリクル
ートした林主任であった。

やるしかないと決意したがその前に1週間ほど田舎に帰ってくると
言い残し、僕は再びしろやま2号の旅に旅立った。

夏も盛り、それはまたしても生涯忘れえぬ旅となった。

しろやま2号の旅~再び~プロローグ完

*しろやまという列車は大阪から西鹿児島までの汽車で当時20数時間
のたびであった。今調べてみると2号という列車は存在しないようである。
のぼりは201、くだりは202と列車番号はなっているようなのでそれの
何かの思い違いかもしれないが記憶のなかの「しろやま2号」は確かに
僕の心に存在するのでそのまま使用することとした。

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2006.04.09

そしてあした旅に


小さな町に生まれ育った 私には
毎日の寂しさに 耐えることが
生きることだと 信じていたし

青春が自分のものとは 思わなかった
微笑みはただ言葉で知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います


■まあしかし人生というのはしたたかな部分
があり思ったようにはいかないもんだ。
そしてそれに翻弄されているときはますます
わけわからなくなったりして、途方にくれる。
どうしたらいいのかさえ見えなくなってきてただ
とぼとぼ歩くのみだ。

風が秋を告げ私に教えることは
時の流れを知ることと
ひたすら待つことだったのでしょうか

あなたを知ることはついに できなかった
微笑みはただ言葉で知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います

■そんなときを過ごしてやっとその意味がわかる
ことがある。
そんな時期はだれにも必要なのだった。
だからこそあたらしい旅に力を与え苦しいことさえ
喜びとすることができる。
それを喜びとするかどうかは心が決めることだ。

明日 旅に出ようと 思います
生きている唯一の 証は
私の心の中にこそ あるんだと

心から笑うことが 幸せ なんだと
あなたとの出会いでそれを知り そして愛も
明日 旅に出ようと 思います

-----------------------------------
そして明日旅に(ブルースバージョン)
             曲musuke 詩liberty
band I
vocal b-harp musuke
guitar kitaro
base forte
-----------------------------------

しろやま2号の旅~再び~

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2006.03.29

30年前への招待状

初老を迎えていた僕は、息子もふたり小学生になっていて
元気に明るく育っていてくれて、幸せであった。
事業も幾多の奇跡があって大きな借入金もほぼ完済、IT事業へ
の参入も大きな契約案件が舞い込んでいたころであった。

あーー今やはり初老の柳君がいて互いの息子自慢を語ったり
することなど想像していたころに突然の30年前へのタイムスリップ
の招待状であった。

祭りの夜・・・

黒いクラウンからあわただしくおりてきたのは同期の晃三だった。

クラウンは僕を乗せて夜の街を無言で走る。

そこは通夜の夜だった、無言の親父さん、泣くおふくろさん、
そこで僕への手紙を渡される・・中は警察が調べのため開封され
ていた。


よりよく生きることは至難です・・・・・・
絶対の信頼こそ永遠の絆・・・・


以来僕はその思いを受け継いでこれたのだろうかなあ・・・

どう?なあ柳・・初老の柳に40年後の今たずねることができる僕がいる・・・
なあ答えてよお!・・・・えっ?無理?・・えーーっ・・・はははは。
彼が笑ってる・・・・・・・・・・・はははははははは・・・・・・・・・・・・・・。

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2006.03.26

30年後の招待状

1996年・・・・あの日から30年がたっていた・・・・
突然一通の招待状が舞い込んだ。

=========================================|
旧○○サービス株式会社社員の皆様
  
                同窓会実行委員会幹事

皆さんお元気でしたでしょうか、1960年当時小さな
家族的な僕たちの会社はその後どんどん大きくなり
ましたが、とうとう私も定年退職することとなりました。

そこで有志が相談して当時の社員を探し出し同窓会を
しようと思い立ちました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

=========================================|

当時の地方営業所も含めて100名ほどの社員名と
判明した現在の連絡先をつけて名簿が添えられていた。

あーーなつかしい思ってもいなかったすごい招待状だ。
そしてその中に瀬戸内海の小島の住所の姓の変わった
M子の名前が載っていた・・・・・・・・・

あぁ・・・・・・・

ひゅんひゅんひゅんひゅん・・・・・・・・・・
エスカル号1965年8月・・・・・・・・M子からの手紙・・・・・・・・

なぜなのですか、なぜ彼は・・・・すぐにでも行きたいのですが
取り乱す私を親は家から出してくれません・・・せめて親友だったあ
なたから彼のことを聞きたい・・・・ごめんなさい・・どうか・・・・・
私はどうしたらいいのでしょう・・教えて・・・・・・・・・・・・・・・

M子への手紙・・・・・・・

ごめんよ、僕が・・・・救えなかった・・・・・・君のせいではない
僕のせいだ・・・・・
君はしっかり生きてほしい・・・そして何十年かたって年をとった
僕たちはきっと・・・そうだそんなこともあったって・・・今は・・・
今はそんなこと考えることもできないけど、彼のためだから・・・

ひゅんひゅんひゅんひゅん・・・・・・・

同窓会への参加のはがきをだして僕は思った・・・あーーー
M子は来てくれるのだろうか・・・・・僕は行くよ・・・・・・・・・・
M子にあったら僕は号泣するのだろうか、それとも笑顔で
彼女を抱きしめるのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・
以来数度の参加をしたがM子との再会は未だ実現していない・・
その親友たちはみんなで彼女の島へ行こうよって言ってくれる
のだがそのこともまだ実現していない・・・

あーーー人生は不思議で素敵だ・・・・・・・


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2006.03.22

しろやま2号の旅からもどって 祭りの後

旅から戻った僕は自宅を店舗に改造することに没頭していった。
両親は生活雑貨の行商を生業としていたが、店をもちたいと夢を
もってひたむきに働いていたことを知っていたからだ。

せめて母親が生きているうちになんとかそれを実現したいと
会社から戻ってきて深夜まで、自宅の改装を一人で手がけていった。

天井を張り、壁を作り陳列台を作る、シャッターとテントは外注したが
表の外装や看板照明など着々と進めていった。

そのころ柳君は恋人のM子と別れ会社をやめ整備士の訓練校に通っ
ていた。
それまでの数年間僕達は周囲もうらやむ仲のよい無二の友であった。
町に出、休日には山や、川、海、人生を語り、夢を語った。
そんな彼がM子と交際するようになってなんとなく僕達の間に距離が
できていった。
そして親父の死、山里への長期出張、お袋の末期がんの看護、店舗
改造等次々と襲う身の上に翻弄されていった。

M子は程なく会社をやめ瀬戸内海の小島へ半ば親に連れ戻されるように
失意のもと帰っていった。

未練の僕はその別れの日、「こちらにいてもいいことはないから」っていう
M子に「まだこれから始まることもあるん違う?」なんて精一杯の告白を
したりしてただ首を振りながらさみしそうに笑うM子に言葉が続かず
「じゃあ元気で」ってありきたりの別れの言葉を投げかけていたっけ。

その後僕はただひたすら、母親の死期との時間の戦いの不眠不休となっ
ていき、友人のことなどすっかり忘れていたといえるだろう。

だが店の完成を待たず母親はその6月なくなった・・・
そして8月のはじめ、店がほぼ完成いつでも開店できることとなった日の
夜は港祭りの夜であった。

祭りのあと表を帰路の人たちがはしゃぎながら通り過ぎる・・椅子に座り
ほっと一息つきながらそんな様子を見ていた・・

そのとき表に黒いクラウンが止まる。

祭りの後の始まりであった。

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2006.03.15

しろやま2号の旅からもどって 1965年3月 

この旅から僕の人生はめまぐるしい変化を始めていた。
人生の分岐点だったと感じる。

それまでが、わけわからずおびえながら震えてとぼとぼ歩いていた。

それからは、とにかく走ろう、走らねば変わらないんだと、歯を食いし
ばって走り出した・・・・

とにかく走ることしか思いつかなかったって感じかもしれない。
普通、一生懸命がんばることしか出来ないんだけど、そんなことは
やってきた・・・・・精一杯やってきたんだ・・・・・・・・・でも自分をとりまく
出来事は、変わらす混沌の中にいるばかりだった。

がんばるということは、言葉ではわかっているんだけど、本当は死ぬほど
がんばるってことだけががんばるってことなんかもしれない。

そう思うほどそれからの僕はゆっくりとそして徐々に加速度をまして走り出した。
くじけそうになるとき、死んでもいいからがんばる・・・それほど思いつめていくは
めとなって行った。

あるときは一人部屋の壁に頭をつけて何時間も泣いていたときもあった。
涙はかれることがないこともあるんだ。

人生を冒険の旅とたとえるなら・・覚悟せよ若者たち・・・・・・・・・・・
さあ春です・・・旅立ちには素敵なときです・・・未来から風が吹いてきます・・・・・・・

1965年の3月に僕は時空魔神エスカル号で戻っていたに違いない・・・・・
そして僕は僕に語りかけたんだ、40年後またあえるから・・・ずっと見守ってるから
同じように苦しんでいる人がいるに違いない、そのときどんなに孤独でも未来の
自分だけはすべてを許し見ていてくれるということを信じていてほしい・・・・・・・

たった一秒生きるためにいつでも命がけ当たり前だ・・・・・・・・・
さあ船をだそう・・・・・・

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2006.03.10

しろやま2号の旅3

汽車は僕の弱さや自意識過剰の現象をのせて九州を南へ南へ
下っていった。

だがそのときはなぜそのようなことになるかは漠然としていてわ
かっていなかったのだ。

病床の母親の代わりに九州南端の母親の故郷の地に旅し、その
帰阪の途中青島などに立ち寄り自分を見つめることになり大人に
なれないでいる自分に気がつき打ちひしがれて行った。

そして病の床にいる母親を思い出し、かけがえのないものを失うこと
が耐え難いことと気がつき一秒でも母親の元にいたいと戻っていった。

しろやま2号のたび 1965-3 〜完〜

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2006.03.04

しろやま2号の旅2 1965年3月 

大阪駅を昼過ぎに発ったしろやま2号の僕はボックス席の向かい側に座った
赤いマニキュアの素敵な女性に少し圧倒されていた。
女性は雑誌を読んでいた。

その雑誌はその月創刊された平凡パンチだ。
日本で始めての男性週刊誌は当時としてはずいぶん思い切った記事と
写真で話題となっていた。

しばらくして読み終えた女性はその雑誌を僕に差し出していった。

「読みます?(^_^)」

「あっどうも・・・・・」

まずい・・・・圧倒されてる・・・・ましてや平凡パンチやもんなあああ
受け取ってしまったけどじっくり読んだりヌード写真を見るのもおかしな
ことやし、うーーーーどうしたらいいんやあ・・・・・・・
まあ見ないわけには行かないし、しばらく読んでから女性に返す・・

「どうも・・・・」

あかん僕にとっては一番悪いパターンや・・自意識過剰の僕にとって
最悪・・・

そのうちボックス席の隣に女子高生の二人ずれが座った。
その女子高生が僕たちにみかんをくれる・・・・

「みかんどうぞ(^_^)」

「どうも・・・・・」

うーーーーはまり込んだあ・・・・・
いまさら明るく振舞うことも出来ん・・・・・・・どうしたらいいんだーーーー
あーーそうや寝てしまおう・・・・。

それからの僕は人生につかれきった、物思いにふける寡黙な青年に
なっていた。

彼女がおりる熊本までの旅の間一言も言葉を交わすこともなく汽車は
驀進していった。

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2005.10.18

エスカル号 1965-3 しろやま2号赤いマニキュアの女

おやじの一周忌が済んだが、おふくろは末期の胃がんで臥せていた。
そんな時、お袋のふるさと鹿児島の坊ノ津からいとこが結婚するという連絡がきた。

お袋はそこで嫁入りするまで育ち、指宿に嫁いで二女をもうけたが跡継ぎの男子が出来なかったことから、実家に一人戻された。
そのような時代であった。

残された子供が母親恋しさに家を抜けてお袋に会いに来るのが母親が呼び寄せていると邪推されたりして、逃げるように大阪に出てきたのだった。
大阪は少女のころ旅回りの杉村劇団の家にお手伝いとして住み込んでいたこともあり何とかなると思ったようだ。

町をさまよっているとき魚行商の親切なおばあさんに声をかけられおばあさんの家に転がり込んで縫い物の内職などで生きていた。

 おやじは、徳島の山奥のそのまた山奥できこりをしていた、次男坊だったがよく働き村の人気者となり山二つ越えた村の娘と恋に落ちたが出兵しているうちに病でなくなり、故郷をすて大阪に出、船乗りになったり、人夫になったり、博打と酒の日々をおくっていたらしい。

おやじは魚行商のおばあさんに声をかけられ、「女の人がいるよ!所帯をもったら?」ってことで結びついたってわけだ。

二人は力をあわせてよく働き、必死でなんとか姉と僕を育ててくれたわけだが、おやじが死んで、お袋は故郷を見ぬまま死ぬことを覚悟していたのだろうけど、せめておやじの家系のただ一人の男の僕をふるさとのおばあさんや兄弟に見せたいと思ったのだろうか、「行っておいで」って送り出されたわけだった。
今思えば一目ふるさとを見たかったのだろうと悔やむ。

一人ぼっちになってしまう22才の大人になりきれない僕は人生に対して大きな不安が頭をもたげてきていたころだった。

この一人旅を自分を見つめなおすきっかけになるかもしれないという予感と期待が交錯するなかで旅立った。

急行しろやま2号は大阪駅を昼過ぎに出て、西鹿児島終点まで26時間ばかりかかっていた。
そこから枕崎線に乗り換えて終点枕崎まで行き、バスで40分ほどで入り江の村落坊ノ津だ。

しろやま2号は定刻に大阪駅を出た。
比較的すいていて、窓際に座った僕の前に一人の女性が座った。

年のころは23,4歳、小柄で素敵な女性だった。当時としては珍しく、赤いマニキュアをしていた。
彼女との博多までの10数時間の旅が始まった。


時空魔神エスカル号 1965年3月 しろやま2号 赤いマニキュアの女
つづく

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