80年代後半消費税の導入と共にバブルの狂騒に不安が増大していった、当社でもこのままでは産業構造が大きく変わっていくと予想されていった。
弱小の企業はナショナルチエーンの企業に淘汰されていく。流通の激変が起こるであろう。
90年代に入りそれは徐々に現実のものとなっていった。
経費の削減が企業の最大のテーマとなっていった。
社員の削減と、パートタイマーへのシフトだ。
そんな戦いのさなか、きたろーが僕に言う。
「LIBERTYも外へ出て行った・・次は僕の番かなあと思ってるねん。」
「えっどういうこと」
「一回外で修行して来ようかと思う」
「えーーそれは違うと思うけど」
システム事業へシフトしている現状でフード事業をまとめてもらうつもりであった僕としては予想外の展開であった。
「どうするつもりや」
「ローンで買った家がやっと売れることになって、少し金ができる、家を建てたいけど大阪では無理、丁度家内の山陰の実家のお父さんがなくなって、長女として家に戻る話も出て、向こうなら家も立つし、生活費も安いし、3人の子供の教育も考えるとこのままではあかんかなあって思う」
彼が会社のことを思い身を引かねばという優しさがそういうことになっていくのだろうが、引き止める根拠を持っていない歯がゆさが、それ以上何もいえなかった。心の中で「ごめんよ」と叫んでいた。
やがて夏が来て明日山陰に旅立つ二日前であった。
家内から電話がある。
「きたろーさんが明日最後の挨拶に家へ来るって」
あーー店が忙しくて人手もないから引越しの手伝いにもいけないし、帰るまでに前倒しで給料とボーナス渡してやりたいよなあ・・でも資金繰りが厳しくて手元の資金を流用すると何とかなるけどすぐ明日回ってくる支払いがショートする・・・困ったなあ。
家内には明日僕は店抜けれないから、来たら渡しておいてくれと、金を袋に詰めて渡す。
そして明日の支払い資金を高利金融から調達することを思い立つ・・当時利息42%の商工ローンだ。
今まで絶対に手をつけなかったのだが仕方ないなんとしても彼には渡して送り出してやりたい。
チラシの入っていた金融屋に電話をし50万円の融資を申し込む、明日店に来るように約束をとる。
なんとかこれで急場はしのげる・・・ああ苦しい・・・
翌日、僕は店に入って金融屋の来るのを待つ。
時間になり、金融屋がたずねてくる。
「どうもお、あっ社長さんですかあ、○○商事ですがあ」
パンチパーマの見るからにそれらしい男がやってきた・・はははは、
「あどうも、どうぞそこのテーブルでどうぞ」
案内しているとき、店の電話が鳴る、店の子が取る。
「あっ社長さん、奥さんから電話ですう」
人から人へ受け継ぐべきもの・・・それは確かに存在する・・・・
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