太平洋戦争が終わった・・・・・それは誰が始めて誰が負けたのか・・・・・・
歴史の中ではそのことが重要なこととして捉えられてはいるが、野に咲く草花にとってはいかほどの意味があろうか。
空からの機銃掃射がなくなり、爆弾の恐怖がなくなったというそのことだけが確かに誰もが感じていたに違いない。
惣七は山の上の本家に家族を預け、一人大阪で日雇いの仕事を続け、家族を呼び戻すために懸命に働いた。
その間、サヨは山の斜面で畑仕事で汗を流した。
継母一人ですごしていた本家に惣七が、家族を連れて戻ってきた、跡取りが戻ってきたと村中が喜んだという。
しかし、継母はサヨを辛く当たるようになる。
づっと後の時代に昭夫がわが子をその本家に連れて行ったとき、急峻な段々畑にある大きな岩の陰でサヨがいつも泣いていたと村人が語った。
本家を継ぐものと思っていた正秀がフイリッピン沖で戦死し、惣七は自分が残らなければ本家は途絶えるということはわかってはいたが一度捨てた故郷・・・戻るわけには行かなかった。
あるときサヨが惣七に言う。
「おとうさん・・・どんなに貧乏でもいい、みんなで大阪に戻りたい・・・」
泣くサヨを見て惣七は再び故郷を捨てる決意をする。
しかしなんとしても親父文平の残した本家は守らねばならない・・親戚じゅうに頭を下げ本家に養子に来てくれるものを探すのだがみんなが恐れる家に行くと首を縦に振るものはなかなか現れなかった。
それでも惣七はあきらめず遠い親戚を訪ね歩き土下座をして乞うその熱意にこたえて「サヨコ」が養女になることを承諾する。
そしてサヨコに養子婿を向かえ、なんとか本家が残ることを確認して、惣七は家族で住む我が家を自分で建てようと思いつき、大阪のえべっさん近くの日本橋五階百貨店をぶらついては大工道具を買って、安治川に浮かぶ材木をひらい、焼け跡の廃材をあつめ市からわずかな賃借料で土地を借り一人で掘っ立て小屋を立てる。
小屋が完成し、妻子を呼ぶ・・関西汽船で天保山についたサヨと文子、昭夫は迎える惣七に抱きついたと言う。
4人で荷物を抱えて我が家へ向かう・・・それは惣七にとっては晴れがましいときであったに違いない。
やがて、千舟橋に差し掛かり。安治川対岸の日立造船から聞こえる始業の合図のサイレンを聞いて幼い昭夫が
「あーーーっ空襲警報っ」って叫んだと言うことは家族が時々思い出しては笑いあう出来事であった。
橋を過ぎるとすぐにその小屋はあった。
粗末な引き戸を開けると、そこには土間があった・・・そしてその土間に一つのやかんがぽつんとおかれていた。
それは昭夫の原風景として年をとるごとによみがえってくるセピア色の映像となった。

家族4人でそのやかんを眺めたとき、惣七はひたむきに生きてきたことの誇りを感じていたに違いない。
それは半世紀以上もも過ぎた時空を越えて、その息子や孫がタイムマシンにのってその瞬間に何度も戻ってきて共に眺めていたことなど知らなかったに違いないのだけど、そのときみんないたよ。
長い長い人生の中で本当に大切なことは、人は人と過ごすと言うことだ・・・年老いた昭夫がいつも口癖のようにつぶやく言葉の原点がここにあるのかもしれない・・・・たった一つのやかんにそれはあるのだけど・・・・わかりますか?・・・・・
はははは・・・・草花はひたむきに野にあって満足・・・・・・・・・はははは・・がんばれ・・・・はははは。
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2/17 終戦時の惣七の行動で少し思い違いがあったので修正。
惣七は本家に戻り働いたのではなく、妻子を預け、一人大阪で港湾労働などをして家族を養うために金を貯めていた・・。
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